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2009年7月

脱動力の旅あれこれ⑨ ~出会い~その5

(老夫婦に教えてもらった方角に自転車を走らせていたら、低速で追い抜いた車から手を振る人がいた)

私は見損なったが、息子が、「さっきのおばさんだ。」と言う。私は手をあげて応じた。助手席の婦人が人差し指でしきりにあっち、あっちという動きをしている。左に曲がれということらしい。国道1号線から斜め左方に続いている狭い道路に私たちは入っていった。どの車もスモールランプを点灯している。私は北斗にライトを点けるように指示を出した。一時停止して夜間走行の準備をしていると、1台の車がスーッと寄ってきて止まった。道を教えてくれた夫婦である。車の後ろについてこいと言う。駅までの案内をしてくれるというのか。車は、自転車の速度に合わせるように、ゆっくりと走る。狭い道なので後続の車も当然ゆっくり走ることになる。申し訳ない気持ちになったが、我慢してもらうしかない。

やがて名鉄名古屋線の踏切を越えた。後続の車がつまってきたのを察してか、それともここまで案内すれば私たちが駅を見つけるのは容易だと思ってか、夫婦の乗った車はスピードを上げて遠ざかっていった。私たちは直進し、キョロキョロしていたら、クラクションが右方から聞こえてきた。そっちの方に目をやると、あの夫婦の車からだった。婦人が窓から手を出して手招きしている。直進ではなく、右折しなければならなかったのだ。私たちの迷いをバックミラー越しに鋭く察してくれたのだろう。夫婦の心遣いがなんとありがたいことか。車についてしばらく走らせると、知立駅に至った。車が止まり、中から婦人が降りてきた。私は感謝の言葉を述べた。夫婦の自宅はまったく違う方向にあるのだそうだが、こうしてわざわざ案内してくれたのだった。どうせ暇だから構わないよ、とこともなげに言う。私たちはこの近辺のホテルに泊まるつもりだと話し、お礼にお茶の入ったパックを渡した。

駅前の繁華街はネオンがあふれていた。私達は「ホテル」の看板を探した。さして大きいとはいえない街であるが、駅周辺には必ずビジネスホテルがあるはずだ。踏切を渡り、頭をあちこちに動かしていると、先ほどの婦人が小走りに寄ってきて、右の路地に入っていった。後ろを追う。ホテルを教えてくれたのである。なんと世話好きで親切な人たちなんだろうか。本当の親切に出会った気がした。ところが、ホテルは休業だった。灯りがついていない。婦人は、交番で聞いてごらん、とアドバイスをしてくれた。改めて深くお礼を言って別れた。

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脱動力の旅あれこれ⑧ ~出会い~ その4

 16年前に書いた自転車の旅行記『脱動力の旅あれこれ』の抜粋を連載している。今回は、旅の途上で出会った忘れがたき人たちについて、その4である。

 今回のサイクリング旅行では、あちこちで道を尋ねた。

初日の目的地は岡崎である。金谷から約100キロの地点だ。しかし、変更して知立市まで足を伸ばした。少しでも名古屋に近づいておかないと、2日目のキャンプ地である琵琶湖の宇賀野に行き着くことが極めて難しいと判断したからである。

岡崎市内に入ったのが午後4時50分であった。その日、1号線沿いの工場の前で8度目の休憩をした折、息子の気持ちを怖々聞いてみた。

「ここから20キロほど先の知立市まで走れるか?」

家を出たのは早朝5時である。すでに12時間走り通しだ。疲れもピークに達しているが、なんと息子はこともなげに答えた。

「走っちゃおうよ。」

私は拍子抜けした。同時に、そんな息子を頼もしいと思った。

初日の宿泊先は特に決めていない。ビジネスホテルを探して泊まる、という事だけは決めていた。

  (中略)

(国道沿いのレストランの駐車場に入り込み、地図をひろげていたとき)レストランから出てきた初老の夫婦に、知立駅までの道を尋ねた。二人はかわるがわる丁寧に駅までの道を教えてくれた。しかし、ちょっと複雑な経路のようで、あまりよく理解できなかった。

駅を聞いたのには訳がある。駅周辺にはビジネスホテルが必ずあるはずだからだ。

私たちは、駐車場から再び国道1号線に出て行った。夕闇迫る国道は、通勤帰りの車であふれていた。自転車の速度の方が速いくらいだ。

老夫婦に教えたもらった方角に自転車を走らせていると、低速で私たちを追い抜いていった車の助手席から手を振る人がいた。

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M君

 小学1年生のM君が、お母さんと体験陶芸に来てくれました。M君は障害を持っています。でも明るく元気な男の子です。かつて障害児教育にも携わった経験を生かし、M君の発達の度合いを観察しながら、粘土遊びを展開していきました。

 1週間ほど前に、お母さんがM君を連れて下見にきてくれた時、M君に粘土を触らせたら、「ばっちい!」と叫んで手のひらを見つめたことがあります。それを払拭するために、私はまずビニール袋に入れたままの粘土を彼の目の前につるし、それをこぶしでパンチをさせました。初めは弱々しいパンチでしたが、私の大げさなリアクションに触発されて、次第に強く打つようになりました。形が変化していく粘土を見て、おもしろい、と思ったようです。

そこでビニールから粘土を取りだして板に置き、今度は手のひらで叩かせました。パン、パンと音がするので、これもおもしろがって何度も叩きます。粘土は汚いもの、という先入観があまり強いものではないことが分かったので、次第に粘土に触れる時間を長くしていきました。

粘土をちぎること、まるめること、たたいてのばすこと、パーツを貼り合わせること、道具を使って粘土に穴をあけること、木の切れ端や印を粘土に押しつけて模様をつけること・・・。さまざまな遊び方をM君にさせて、粘土あそびのおもしろさを体感させました。

M君の笑顔は、粘土あそびの間中絶えることはありませんでした。

 

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脱動力の旅あれこれ⑦ ~出会い~ その3

 雨宿りしていた車庫から出て間もなく、雨の中に消えていったあのサイクリストが軒下で雨宿りしているのが見えた。薄汚れたような白い帽子をかぶって、ちょっとはにかんだ顔つきでこちらに視線を向けていた。青年は、先頭を走る息子に再びサインを送ってきた。彼はもう少し雨が上がるのを待つのだろう。動く気配がなかった。やがてまたどこかで追い抜かれる。何せ私たちは時速10キロメートルまで落ち込んでいる。できるだけ彼に抜かされないようしよう、ということを走り続ける起爆剤にした。衰えが目立ってきた脚に力を込めた。

 敦賀市の民宿を発って、すでに8時間が過ぎた。午後3時を少し回っている。この日の天候は、晴れから一時強い雨に、そして今は小雨である。炎天下より体力の消耗は少ないが、今日の目的地の一つである「東尋坊」に立ち寄る気力は失せている。それでも、あのサイクリストに抜かれまいとして、ひたすら305号線を北へ北へとペダルをこいだ。

 私たちの疲れを癒してくれた美しい海岸線に別れを告げ、ようやく芦原温泉のある三国町と福井市の境にさしかかった。そこで久しぶりに休憩をとった。国道沿いの少し傾斜した荒れ地に腰をおろす。昨日奥琵琶湖のドライブインで買ったオレンジを二人で分け合って食べた。氷を入れた発泡スチロールの保冷箱に入れておいたので、ほどよく冷えている。淡い紫がかった果肉である。北斗はこのオレンジがいたく気に入ったようだ。おいしいね、を繰り返した。と、雨が再びポツポツと降ってきた。空を見上げる。強くは降らないだろう。一度雨の中を走っているので、二人とも全く気にせずにオレンジにかぶりつく。その時突然息子が、「おとうさん、抜かれちゃったよ。」とさりげなく私に言った。私は顔を上げて国道に目を向けたが、あのサイクリストは見えない。「手を挙げたか。」「うん、ぼくもサイン送ったよ。」

彼はどこまで走るのだろうか。私たちは走る目標を失ったような気がした。

雨はこれ以上強くは降らないようだ。小雨の中を出発した。ゆるやかなダウンヒルを越えると、両側に砂地の畑が広がっている。狭い国道は福井市と三国町境界で左に折れている。新設されたばかりの道に違いない。日本海に沿った真新しい国道に私たちは入っていった。山田化学工業、敷島アルミニューム、小野薬品研究所、北陸電力福井火力発電所を左手に見ながら、やがて三国町に入った。一帯は工業地帯である。化学工場からの排煙だろうか。異臭が鼻に流れ込んでくる。九頭竜川を渡りきると、「芦原町」「東尋坊」の標識が見えた。左折して九頭竜川沿いに北上すると東尋坊に至る。交差点を直進すると芦原温泉である。午後4時を過ぎていることから計算すると、東尋坊に寄り、県道三国・東尋坊線をグルリと半周すれば、旅館に到着するのは6時過ぎてしまう。海蝕景観のすぐれた景勝地を是非息子に見せてあげたいと思っていたが、早く温泉につかりたいという想いのほうが強く、二人の考えは一致。直進することに決定した。あのサイクリストとはこの先2度と会うことはなかった。彼、東尋坊に向ったのかもしれない。一人黙々と走り続ける彼に、私は心の中でエールを送っていた。一度も言葉を交わさなかったが、印象深い青年だった。

good2日目、南濃町の田園地帯を走る。蓮の花が心を癒してくれたっけ。

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脱動力の旅あれこれ ⑥~出会い~ その2

 900メートルもある長い(自動車では感じない長さ)「賤ヶ岳トンネル」を緊張しながら怖々と走り抜けると、奥琵琶湖の湖面が目に飛び込んできた。竹生島が陽光を受けて青く光って見える。湖面はかすかな風をもらってゆるやかなさざ波を立てて輝いていた。トンネル走行の恐怖感から解放された。息子はカメラマンに変身する。めったにカメラを触ることはないのに、よほどこのときの景色が気に入ったのだろう。

 しばらく走り、飯の浦にある洒落たドライブインで昼食をとった。そしてそこを発とうと準備していると、2台の自転車が私たちの方へ近寄ってきた。「こんにちは!」明るい挨拶が響いた。昨日飛騨高山を出て、小浜を経て帰るところだという。これまた高校2年生の男子であった。わずか2日間でかなりの距離を走っているのにはびっくりである。さすがに若い者は体力があると、またまた脱帽である。受け答えもしっかりとしたスポーツマンタイプの高校生だった。

 4日目、芦原に向けて越前海岸を通り抜け、福井県小丹生町あたりを走っていると、一人のサイクリストが静に片手を挙げ、親指を突き出して私たちを追い抜いていった。彼は、私に対してよりも息子にサインを送ったようだった。

「神の足跡」と名付けられた奇岩を眺めていると、それまで広がっていた青空が消え、一面に黒雲が重たくのしかかってきた。あっという間にたたきつけるような雨になった。追い抜いていったサイクリストは速度を増して雨の中に消えていった。私たちは幸いにも10数メートル走った所に、造ったばかりのスチール製車庫を見つけ、その中に入り込んだ。コンクリートの床は乾いて日が経っていないらしく、コンクリート独特の匂いを発していた。大粒の雨がさらに激しく打ち付けてきた。日本海が灰色の空と溶け合って見える。黒雲の流れは速い。すぐに通り過ぎるに違いないと予想したが、雲は南東の方角から我々が進もうとする方向へと移動している。

雨宿りしてからすでに20分は過ぎただろうか。おそらくこの車庫は向かいにある家の所有だろう。私は腰を下ろしているのに、北斗は自転車に寄りかかりながら立ったままである。北斗の心配症が出始める。「おとうさん、もう行こうよ。」

と数度私にけしかけるように言う。雨脚はまだおとろえていないのに。

・・・ははん、北斗の奴、向かい側の家の人に何か言われるんじゃあないかと心配しているな・・・

問うと、案の上である。もう少し図太くなれ、と一言。

なかなか止みそうにない。少し雨脚が衰えるのを待って出発することにした。雨の中での走行も十分想定していたので準備は万端である。荷をビニールで覆い隅を選択バサミで留める。緑色の大きめのポンチョを着る。靴をゴムゾーリに履き替える。靴が濡れたらやっかいだからだ。

意を決して雨の中に乗り入れた。大人用のポンチョを着た息子が運転する姿を後ろから見ていると、なんとなくみすぼらしく見えた。吹き出したくなるようなおかしな姿にも見えた。

10分も走らないうちに雨は上がった。せっかく時間をかけて雨具の準備をしたのに。もう少し雨の中を走りたかった、と思ったのは私だけ。息子はポンチョを早々と脱ぎ始めた。濡れたままザックに納めるわけにはいかないから、荷台にくくりつけた。この姿もあまりスマートとは言えず、ちょっと情けない感じではあるが、結局このまま4日目の宿泊先である芦原温泉まで走ってしまう。その間、ポツリポツリときたので荷物を濡らさずにすんだ。私は芦原温泉近くになってから靴に履き替えた。短パンにゴム草履、ぐちゃぐちゃの髪の毛、汗くさいTシャツの格好で天下の温泉郷に入るのはちょっと気が引けたからだ。予約してある「みゆき」という旅館がどの程度なのか見当がつかなかったが、着いてみるとかなりの老舗旅館だった。息子が言った。「ぼくも靴に履き替えとけばよかったなぁ。」

good島田市金谷の家を出発 1994年8月15日

 (ようやく探していた写真が見つかった。色あせてていたがスキャナで読み取った)

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脱動力の旅あれこれ ⑤ ~出会い~その1

 かつて書いたツーリング紀行文『脱動力の旅あれこれ』」から抜粋し連載しているが、今回からはツーリング中に出会った様々な人について書いていこうと思う。

 (羽咋市に向けて家を出た)初日から度肝を抜かされた。新居町あたりを走っているときである。大きなザックをかついで歩いている青年の後姿が目に飛び込んできた。声をかけてみると、なんと横浜から広島まで徒歩旅行をしているというのである。真っ黒に日焼けした顔に白い歯がのぞいた。日に30キロがやっとなのだそうな。さもあらん。私は身体中に電流が走ったのを感じた。腕にも鳥肌が立ったのがはっきりと分かった。このぞくぞくする感じはその後何度も経験することになる。そして、この青年との出会いは私たち親子の大きな励みとなった。辛くて走るのが嫌になったときの合言葉が

「広島まで一人旅しているあの青年と比べたらたいしたことないよなぁ!」であった。

  琵琶湖の宇賀野キャンプ場で声をかけた若者は高校2年生である。婦人自転車にキャンプ用具をくくりつけ、キャンプ場から出ようとしているところだった。栃木県から走ってきたと言う。すごい脚力である。私たちは21段変速ギアを備えたマウンティンバイクだ。かなりの坂でもギアを入れ替えるだけで、あまり大きな力を脚にこめなくても上っていけるところが、俗に言う“ママチャリ”で、よくもまあこんな遠くまで走ってきたものだと、高校生の体力に脱帽してしまった。彼ら、「ガンバッテ!」とさわやかな声を発して我々より一足早くキャンプ場を去って行った。

 

その後も荷物を自転車にくくりつけたり、大きなリュックサックを背負って走っている若者に何回も出会った。見知らぬ者同士だが、「自転車仲間」という連帯感めいたものが双方に生まれる。すれ違いざまにサインの交換が行われるのだ。おかしなもので、荷台に荷物を提げていない自転車からは顔がこちらに向けられるだけだ。私たちも同様である。互いにいちべつするだけである。「荷物」を提げていることが遠距離ツーリングをしている証。炎天下を苦しみながらも自力走行している点が共通項。何よりも私より一回り小さな息子が走っている姿に、彼らは心を動かされたのかも知れない。右手の親指を突き出し、高々と頭上にかざして数度親指を前後させるサインには、連帯感を示すと同時に激励に意味が込められている(と私は勝手に解釈している)。中には親指を頭上高く掲げ、「ウォー!」と雄叫びのような声をあげてすれ違った上半身裸で走っている野獣的なサイクリストもいた。

 すれ違い時、こうしたサインの交換をする度に私は大きな声で

「が・ん・ば・って~!」と叫んだ。私はぞくぞくする感じに襲われた。鳥肌が立った。心が躍った。ペダルを踏む脚に力がこもった。彼らもきっとそうだったに違いない。不思議な以心伝心である。連帯感と、互いにたたえ励まし合う心の通い合い。「に・ん・げ・ん」同士を私はそこに見つけた思いがした。

私はふと思った。私も彼らも自動車を運転していたとしたらどうだったのだろうかと。自動車一台がやっと通れる狭い道路で双方がすれ違う時、私や彼らはどう対処するか・・・。どういう心の状態が生起するのか・・・。「自動」か「自分で輪をころがす」のかの違いは、人の心の有りようを変える。

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出張体験陶芸講座

 出張体験陶芸講座がありました。小糸製作所労働組合ワークレディースの皆さんが、活動の一環として企画してくれたものです。参加者を募ることをはじめとして、今日は朝早くから準備に骨を折ってくださいました役員の方、ありがとうございました。

半日、会社の一室に集まった14人の皆さんが粘土遊びを楽しんでくれました。親子参加が4組あったので、半数の7人が小学生でした。低学年の子供は、お母さんやお父さんに助けられながらマグカップ、スプーン、皿などを上手に作り、好みの絵や文字を彫り込んでいました。もちろん大人も夢中に粘土と戯れていました。

外は雨模様でしたが、部屋内は明るい雰囲気が終始漂っていました。

good出来上がったよ!

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good皆さん、こうしたものを作りました。

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銀も金も~子にしかめやも

 昨晩の教室の様子を少し書きたいと思います。

会員のOさん母子が、午後10時ころまで熱心に作陶していました。お母さんは先週手びねりで作った2個の球形の器を削ります。息子さんは電動ロクロの練習に没頭しています。息子さんはこの日が33歳の誕生日でした。別々に暮らしている親子が週一度、「ささやき窯」の教室で共に陶芸を楽しんでいるのです。

削りを早めに終えた母親は、教室の隅にある椅子に腰掛け、ロクロに向かって熱心に粘土を挽いている息子に視線を向けます。絵になる光景でした。思わず写真を撮っておきたいと思うほど。そのときの母親の思いを文字で表現することなどとうていできないと思いましたが、一言で書くなら「子を思う母心」でしょうか。万葉の歌人、山上憶良(やまのうえおくら)の歌にもあります。まさにこの時の母親はそういう気持ちでわが子を見つめていたのでしょう。

 銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子に及(し)かめやも(山上憶良)

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脱動力の旅あれこれ ④

 きのうまでとは違い、無線はつけず、私はサングラスや帽子も身に付けない極めて身軽ないでたちで自転車に乗った。今日は私が先を走ることにする。「ゆっくり走るぞ。」息子に声をかける。

 昨夕、疲労の極限に達しながらたどり着いた「羽咋大橋」を渡りきるのを惜しむようにゆっくりと走る。渡りきると、「お父さん、早く泳ぎたいやあ。」と後方から息子の声。右へ曲がれば千里浜海水浴場である。私は無視して左折する。まずは帰る準備だけはしておかなければいけない。私たちは駅の方角を目指した。

                       (中略)

 空模様が少し怪しくなってきた。一雨きそうな様子である。羽咋駅を後にして、私たちは千里浜海水浴場へ向かった。そこまではたいした距離ではない。9時少し過ぎに到着した。海水浴客はまばらだった。日本海は穏やかだった。この海水浴場は「渚どドライブウェイ」でも有名な場所だ。全長8キロメートルもある砂浜の道は日本一だそうだ。砂浜が硬くなっているので、普通の自動車でも走ることができる。

私たちは自転車に折りたたみの小さな黒傘を2つくくりつけて、ビーチパラソル代わりにした。隣ではワゴン車にテントを接続し、派手なパラソルをキャンプ用のテーブルに挿している若者のグループがいる。

「ぼくんちの、ちょっとみじめだね。」と北斗が言った。かまうものか、と私はつぶやく。

その前を車が走り抜けた。観光バスも通る。穏やかな日本海の波が「渚ドライブウェイ」のわずか数メートル先まで打ち寄せている。私はこんなドライブウェイなどご免こうむりたい、と思った。静かな浜の雰囲気が丸つぶれである。

1時間ほどで遊ぶのを止め、温水シャワー(そう扉に書いてあったのに、実際はお湯が出なかった)を100円で浴びて浜を後にした。

「るるぶ」(JTB発行の旅行情報誌)などに紹介されているような素敵な浜ではなかった。観光のメッカになっているような場所は、誌上であまりにも良く書かれているから、実際とのギャップの大きさを感じるのかもしれない。

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残念!そしてありがとう!

 残念!太陽は雨雲に覆い隠さ、見ることができませんでした。生徒さんの一人が皆既日食を観測するため中国まで出かけているのですが、天気が心配です。カメラやビデオで日食の様子を撮影してくると言っていたので、それを見せてもらうのを楽しみにしているのですが・・・。

 家山の喫茶店「お茶ぼっこ」の店主夫妻が来てくれました。定休日には時折夫婦仲良くお出かけするのでしょう。私のところには、いつもお二人でいらっしゃいます。そんなご夫妻を見ると、とても嬉しくなります。いただいた手作りシフォンケーキはとてもふっくらとした焼き上がりで、口の中で甘さが広がり、やさしく溶けました。おいしいケーキ、ありがとうございました。

 

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アメリカ人の来訪

現在「ささやき窯 うつわ展」を開催中です。一昨日の日曜日、ギャラリーは大勢の方でにぎわいました。来ていただいた方の中に、アメリカ人の青年(Shawnさん)がいました。岐阜県で英語の教師をしている女性、その母親、そして牧之原市在住の女性と一緒でした。「お茶の郷 博物館」前に設置した「ささやき窯」の看板に惹かれて来てみたとおっしゃっていました。

ギャラリーで展示品を見ていただいた後、工房でろくろの実演をしました。湯のみ碗、飯碗、小皿、徳利、急須など次々と作るのを見て、Shawnさんたちは感嘆の声を上げて喜んでくれました。私はShawnさんにも電動ろくろに挑戦してもらいました。彼は、大きなふっくらした手で粘土を包みこみ、何度か上げ下げの練習をし、最後に小さな湯飲みを挽き上げました。記念にこれを焼いてプレゼントしたいと私が言うと、たいそう喜んでいました。

ぶらりと立ち寄ってくれた、遠くアメリカからやってきたShawnさん。

「必ずまた静岡に来ます。」彼はこう言って私と握手を交わして帰って行きました。

good実演を見入る皆さん

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goodShawnさんも挑戦

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good小さな湯呑み完成。やったね!

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goodほっと一息ルームで、おしゃべりに花が咲く

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脱動力の旅あれこれ ③

 私は寝ている息子を見つめながら、昨年の伊豆半島一周のことを思い起こしていた。

あの時には、まだ私が体力の劣る息子を気遣いながら走っていた。アップダウンが連続する伊豆海岸線は、自転車で走るのにはかなりしんどかった。東伊豆から伊東に向う道などは、峠かなと一安心したのもつかの間、まだ上りが続いていることが多かった。父親の私が息子に、「大丈夫か。」と声かけする場面が幾度となくあった。ところが、今回の旅では、一変した。

 自宅を発って3日目、琵琶湖湖畔の宇賀野キャンプ場(近江町、長浜の南)から8号線を北上し、敦賀に向っている時である。前を走る北斗がみるみる私から遠ざかっていくのだ。両者が付けているヘッドホン式無線の性能からして、常時50メートル内の間隔を保って走ってきたのに、この日はすぐに100メートル前後まで離されてしまうのだった。

「こちらお父さん。聞こえますか・・・、どうぞ。」

息子は私からの無線連絡で後ろを振り向く。そして言うのだ。

「お父さん、大丈夫!?」

4日目、5日目はこの気遣いの言葉が何度も無線を通して入ってきた。彼はその度に速度を緩めたり、止まって待っていてくれた。そして更に言うのだ。

「休もうか?」

私は、疲れていたのではなく、ペースを上げると連続走行が困難になるだろうと言う不安があったのである。馬力はまだ私の方があるはずなのだ。でも、炎天下で毎日のようにサッカーをやって鍛えている息子にはもうかなわないという思いが次第に大きくなっていた。だから無理をして息子のペースについていくわけにはいかなかったのである。

私は、グングン私を引き離していく息子の後ろ姿を見て頼もしいと思った。父親を気遣うその気持ちが嬉しかった。「しょうがねえ親父だなあ!」とおちょくる言葉の中に、父親を乗り越えていく己の成長を喜ぶ北斗の心が見て取れた。

私はまた息子の頭を何度もなでた。

もうじき7時である。羽咋大橋は車の行き交いが増えてきた。海鳥が2羽前後して川の真上を上流に向って飛んでいく。私は地図を取りだして羽咋駅を確認した。人文社発行の5万分の一の詳細な地図である。北陸路に入ってから大変役立っている。少し重いがバックに入れてきた。新品だったのに、よれよれになってしまった。私は窓から身を乗り出して南東方向にある駅を目で確かめようとした。駅らしき建物は見えなかった。私は窓外を見ながら今日の予定を頭に描いていた。

                       (中略)

寝返りを打って目を覚ましかけた息子を揺り動かした。

「北斗、今日はゆっくりできるなあ。」

眠そうな目だ。目やにがこびりついている。自転車用サングラスをしないで長時間走ったので、自動車の排気ガスやら塵などによって目を痛めたのだろう。3日目あたりから目の異常を訴えるようになった。私はその都度洗浄液で洗い、2種類の目薬をさしてやった。今朝もその治療を息子に施した。そして、今日の予定を話し、息子の意見を求めた。

少しでも早く海水浴場に行きたいと言う。無理もない意見だ。どこにも寄らず、ひたすら走り続けるだけだったのだから。しかし、帰る段取りをきちんとしておかなければならないことを、私は彼に話して聞かせた。

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脱動力の旅あれこれ ②

 「ささやき窯器展」初日です。ここ数日間は、展示作品焼成のため2基ある窯をフル稼働させていました。その間徹夜が1日、他の日も睡眠時間数時間という有様でした。

頭がボーッとしてはいましたが、ギャラリーに来てくれたお客さんや教室に通ってきた生徒さんを前にすると、適度な心地良い緊張感が出てきて、何とか初日を乗り切ることができました。

 嬉しいことが幾つもあった日でした。一つは、駿東郡清水町の母娘のお二人が陶芸教室に入会してくれたことです。ヒモ作りの練習をしている間中、娘さんの小学1年生のMちゃんは愉快そうにケラケラと笑い声を発していました。転がるような、小川のせせらぎのような、透き通った笑い声は、一緒に作陶していた大人達の破顔を誘っていました。私が大好きな子どもの笑い声を久しぶりに聞いてとても幸せな気持ちになりました。

 二つ目は、つい先日体験陶芸に来てくれたばかりの、あの「パーソナル新聞」を書いているMさんが、今日はご近所の3人の女性を誘って来てくれたことです。さらに、Mさんは会員として入会し、以後も当教室に通ってくれるようになったことです。"ご近所さん仲間"はとても愉快な方達でした。今日は体が持つか心配していましたが、皆さんのまろやかなオーラをもらって元気になった感じがしました。ありがとうございました。

さて、中断していた「脱動力の旅あれこれ」の続きを書くことにします。

今回は、石川県羽咋市までをキャンプをしながら走ったときのことです。その書き出しです。

 8月20日(平成6年)午前5時である。石川県羽咋市の「ペンション河畔」で自転車旅行記の筆を執り始めたい。

 8畳の部屋からは満々と水をたたえた羽咋川が眼下に見える。今日も良い天気になりそうだ。形成されつつある積乱雲が南西の方角に見える。熊が大きなあくびをしたような雲が浮かんでいる。そのうちそれも消え、一面青空が広がるだろう。息子はまだ寝息をたてている。

 5日前、この羽咋大橋を目指して家を発った。最終宿泊地を羽咋市と決め、羽咋大橋のたもとにあるというペンションに予約をしておいた。なにが何でもここにたどり着こうという気持ちになるだろうと思って、予約金も送金した。そして、昨日夕刻7時過ぎ、ついにこの橋に到着したのだった。先を行く北斗(息子)が橋の名前を確認する。と、無線機を通して叫ぶ。「お父さん羽咋大橋だぁ!」

30分前に志雄町を抜け羽咋市に入ったことを示す標識を見た時には私が叫んでいた。「北斗!ついに羽咋市だぞ!」

その町のペンションの一室から私は窓外を眺めている。大橋を両手を大きく振りながらウォーキングしている初老の女性がこちら側に向っている。対岸を千里浜方面に早足で歩いている中年夫婦も見える。高校生だろうか。数十人がその夫婦を追いかけるように同一方向にランニングしている。ハスキー犬を連れた男が橋を渡り始めた。みんな自分の足で大地を踏みしめ進んでいる。宅急便のトラック2台が、橋上を競争するかのように走り去った。人々の生活が始まろうとしていた。

 部屋に目を移す。息子はまだ寝息を立てている。今日は走らなくていい、早朝に出発しなくてもいい。暑い陽射しと闘わなくてもすむ。渇きに閉口しないでいい。擦れる股ぐらの痛さを味わわないですむ。道路標識と地図とをにらめっこしながら目的地までの距離の遠さに唖然としなくてもいい。車道を走る危険にびくつかなくてもいいのだ。今日は自転車で走らなくてもいい・・・・。私と息子の胸中は同じである。

5日間、その日その日の目的地に向って、ただひたすらにペダルをこぐ毎日。越前海岸の美しい海を左方に見ながら、「泳ぎたいね。」「泳ぎたいね」と息子は何度言ったことか。名古屋城、長浜城、賤ヶ岳古戦場、東尋坊、兼六園と私たちが通過する先々に見所がある。でも、どこにも立ち寄らなかった。寄れなかった。目的地までの距離と到着時間を計算すると立ち寄る時間がはじき出されなかったからである。

明日は電車で帰れる。こぐ必要はない。午前中は千里浜海水浴場で思い切り泳ぎたい。そう北斗は言って寝た。掛け布団を跳ね上げ、両膝を抱えるようにして丸くなっている息子の顔や手脚は赤銅色だ。あどけないふくよかな顔だが、たくましさが見て取れる。私は丸刈りの息子の頭をなでた。頼もしい走りっぷりだった北斗に賞賛の気持ちを込めて。

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親孝行姉妹

 あの「パーソナル新聞」を書いているMさんが妹さんと一緒に、足が少し不自由な70歳半ばの父親を連れて体験陶芸に来てくれました。

 お父さんは素晴らしくやさしい笑顔の方でした。共に粘土遊びに興じている70半ばのお父さんと、50歳手前の娘二人の親子は、何ともいえないホットな雰囲気をかもし出していました。お父さんは時々、「陶芸は難しいなあ」と言いながらも、シンプルできちんとしたマグカップを作り上げました。妹のSさんは花びら模様をカップの胴体部に貼り付け、姉のMさんはカエルを貼り付けました。とっても可愛らしいマグカップの出来上がりです。

好々爺のKさん

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Mさんと会員のAさん 

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妹のSさん

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親孝行姉妹とお父さん  ほら、素敵でしょ!

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脱動力の旅あれこれ ①

 『自転車の旅 脱動力の旅あれこれ』はこんな書き出しで始まる。書いたのは平成5年5月である。16年も前のことだ。

                  挑        み

 息子と2人で自転車旅行をしてみたい。日本列島縦断とまではいかなくても、せめて中部地方を一巡りしてみたい。

 2年前の夏、島田市内の国道1号線をひた走る父子の姿に出くわしたことがある。車で走っていた私は、途中で待ち伏せして彼らに声をかけてみた。埼玉県から神戸まで、1週間かけて走っているところだという。子どもは小学校6年生。卒業の記念にと、父親が半ば強引に誘ったのだそうだ。神戸到着予定は、甲子園での高校野球開幕に間に合うように計画したのだが、埼玉を発ってすでに3日目。子どもの疲れが目立ってきたため、予定を無視して目的地に着くことだけを最大の目標にするのだと、父親が話してくれた。

 

 私は急いで帰宅し、息子を乗せて日坂の切割峠まで走った。そこであの父子が来るのを待った。ヘッドトランシーバーを頭上に掛け、ハンドルにもたれかかるように重い足取りで登ってくる男の子と、その10メートルほど後方から景色を愉しむような面持ちで確かな歩を進めている父親の姿が見えてきた。

 私は息子を二人に紹介し、いずれ私たちも挑戦したいのだと話した。名刺を交換し、記念写真を撮り合った。

 そのことを機に、夢は更に膨らんだ。それからは機会あるごとに息子をサイクリングに連れ出すようになった。大崩海岸を通って静岡へ、御前崎や相良の往復、粟ケ岳山頂に登り田代へ、大代林道を北上し掛川の黒俣に抜ける、井川ダム湖畔から赤石岳登山口までの往復・・・・。次々ときついコースを探しては走った。

 やり始めの頃は息子の体力を気遣いながら走っていたのが、近頃は私と対等の速度で走るようになったので、私は嬉しくってしょうがない。むしろ登坂のときなどは私より力強いペダリングでグングン登っていく。6年生になったら逆転するだろう。「お父さん大丈夫?少し休もうか。」なんて息子に気遣われるかもしれない。もっと鍛えておかないと、夢は私自身の体力減退が原因で霧散してしまうだろう。年齢には勝てない悲しい現実を感じることもある。

 

・・・中略・・・

 

 2年前に出遭った父子のように、動力に頼らない自転車の旅ができたらどんなにかいいだろう。風を切りながらペダルを踏むと、景色が実にゆっくりと流れていく。今まで気づかなかったモノも見えてくる。町や村にはそれぞれ特有の匂いが漂っていることにも気づく。山道を走ると、命を終えようとしている虫たちに出くわす。大げさだが、地球を踏みしめ、自然と一体になっているのを感じるのである。何よりも、息子と苦しみながら一つのことに挑戦し、その後に来る大きな喜びを得たいと思うのだが。

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自転車の旅

世界最高峰自転車レース、 ツールドフランスが行われている。自転車好きの私にとって刺激的である。このところ遠ざかっているツーリングに出かけたくなる。倉庫でほこりをかぶっている愛車にたまには目を向けてやらないと可哀想である。15年ほど前から乗っているマウンテンバイクだが、彼にはいろいろな所に連れて行ってもらった。

伊豆半島一周を皮切りに、石川県羽咋市まで7日間かけて走ったこともある。翌年はそこを起点に能登半島1周もした。さらに次の年には秋田市まで、日本海に沈む夕日を左手に眺めながら走った。

ツーリングには毎回息子を連れ出した。まだ小学生だった息子は嫌がる風も見せずいつもついてきてくれた。夏休み時だから炎天下を走ることになる。一日100~130kmを走ると、体力は限界ギリギリまでになっていた。

伊豆半島一周をしたときは小学4年だった。息子にはずいぶん過酷なツーリングをさせてきた。そのころ私は40歳の半ばだった。息子より体力があると思っていたが、学年が進むにつれ、私より力強いペダリングをするようになっていった。登坂になると私のほうがばてるようになった。

息子が中学生になる直前の春休み、私は彼にある命令をだした。それは、国道52号線を北上し、下部温泉~本栖湖を経由して富士五湖一周をしてこい、というものだった。彼は友達二人を誘いそれを実行した。私は、子供たちが2泊3日のツーリングで出くわす幾つかの難題を自ら乗り越えて欲しいと願って送り出した。心配でならなかったが、それを押し隠し、さらに厳しい注文をつけた。「下部温泉から本栖湖にいたる山道は厳しいかもしれないが、決して自転車から降りるな。どんなにゆっくりでもいい、こぎ続けろ」と。

懐かしい自転車にまつわる思い出である。

私はかつて一冊の紀行文を書いている。「自転車の旅 ~脱動力の旅あれこれ」と題したものである。

久しぶりに取り出して読み返した。キャンプをしながら600Km先の羽咋市を目指して走ったときのことが鮮明によみがえってきた。

この先しばらくはこの紀行文をご紹介していきたい。

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抗うことなく

 不安定な天候の一日だった。

午前中は陽光が射し、庭の緑樹が光っていた。昨日刈ったばかりの芝生も陽射しを浴び、再び伸びようとする力をもらって嬉しそうに見えた。昼近くなると風が吹き荒れた。母屋、ログハウス、工房の3つの建物に囲まれた庭は風のたまり場の如くになった。風向きも時々変化する。ひょろ長い白樺はことのほか大きく揺れ、いまにも梢が折れそうだった。太く高く成長したコブシも緑葉をいっぱいに蓄えた枝を引きちぎられないようにコントロールしてる。

私はしばしその様を見つめていた。

決して風向きに抗(あらが)うことはしない。「なにくそ!枝を引きちぎられてなるものか!」といった動きはこれっぽっちも見せない。風の吹くまま、気の向くままに任せたその様は、まるでダンスでもしているかのようだ。しなやかだぁ!人間も時にはこうでなくちゃあいけない。

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命糸小手

命満つ葉裏石下軒下に白くろ赤茶の小さき命

門柱に架けられし糸露と虫を留らせ揺れる

ブルーベリー熟す先から一つ三つ小さき手伸び採り行きしかな

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可愛らしい遠方からのお客さん

 今日体験陶芸に訪れたのは、お母さんのTさんとピカピカの1年生の娘さん、Mちゃんです。駿東郡清水町から来たのだと知って驚きました。私のホームページを見て、数日前にメールで申し込まれた方です。朝6時半頃に家を出たのだとおっしゃっていました。Mちゃんのお父さんが、島田市で仕事をしていることもあって、近くの陶芸教室である「ささやき窯」を選んでくださったようです。

 お二人は揃いのカップを作りました。板状にした細長い粘土を5㎜厚にスライスするところから挑戦してもらいました。Mちゃん、私が手を添えながらでしたが、難しいスライスをとても上手にやりのけてしまいました。もちろんお母さんも息を止めて慎重にタタラ板上を加圧しながら切り糸をすべらせ、見事に切断しました。初体験としては上出来です。

 スライスした板状の粘土を軽く叩いて締めること、型紙を当てて切断し、カップの胴体部を作ること、それを缶に巻き付ける・・・。順を追って作っていきましたが、小学1年生のMちゃんは飲み込みが早く、目を輝かせて取り組んでいました。時々お母さんに、「こうやるんだよ」などと教えたりしながら。この親子のやり取りがいいのです。たまには親が子どもに手ほどきを受ける、親は分かっていても「へぇ~、そうかぁ~、ありがとう!」と子どもに嬉しそうに言う。親子の絆を深めるにはもってこいです。子は、得意満面の表情を見せます。それを見るのは私にとって非常に楽しいことです。Mちゃんの顔をちらりと覗くと、やっぱりでした。良い表情をしていました。

 作品作りが終わると、Mちゃんは、庭で遊んでいた私の孫(小学1年生と保育園年中の男の子)とすぐにうち解け合ってゴム跳びなどをしてはしゃいでいました。お母さんのTさんが工房の玄関から見つめます。表情は見えませんでしたが、きっと目を細めていたにちがいありません。だって、動き回る子どもの姿は本当に愛くるしいから。ひとときもじっとしていない、いやしていられない、それこそが純粋な子どもの証なのですから。

 遠方からわざわざ来てくださっただけでも驚きだったのに、もう一つ帰り際にびっくりさせられた事があります。「ささやき窯 楽友」に会員として入会したい、月4回通いたい、とお母さんがおっしゃったのです。ここを気に入ってくださったのでしょう。そう私は解釈しました。嬉しい申し入れでした。来週また来ますと予約をして帰られました。

good真剣な表情のMちゃん

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goodほら、出来たよ!

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続 皆さんいいもの作ってます その10

 生徒さんの作品紹介の続きです。

コーヒーカップ&ソーサー(スプーン付き)を10セットも作ったのは、「ささやき窯 楽友」会員第一号のAさんです。彼女は、私が愛知県瀬戸市に陶芸の修業に行く直前、拙宅に訪ねてきて、「修業を終えて帰ってきたら私が第一号の入会者になるからね」と言った言葉通りにしてくれた女性です。管理栄養士として全国を飛び回る多忙な方ですが、合間を見つけては通ってきます。今回作ったコーヒカップセットは、とても根気強く何週にもわたって作りあげたものです。古代呉須(こだいごす)で絵付けがしてあります。彼女の口癖は、「ま、いっか」と「な~んちゃって!」です。悪く言えばおおざっぱ、良く言うと大胆な作陶をする方でもあります。

でも、それがいいのです。結構おもしろくて良い作品が出来上がるのですから。

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親子合作で長方皿を作ったのは、Oさんです。母親と一緒に来ている34歳になる息子さんはとても几帳面で手を抜きません。一方、母親は上記のAさんと似ています。やはり「ま、いっか」といった作り方をします。だから、息子さんと同じものを倍の速さで作ってしまうほどです。この対照的な親子の初合作が下記の写真のような皿です。38センチ×13センチの大きさです。

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器(うつわ)展を開催します

    「ささやき窯 器(うつわ)展」を開催します。

    会期 7月18日(土)~26日(日)

    時間 10:00~16:30

    会場 ささやき窯 ギャラリー

普段、食卓などで使う器を中心に展示します。

オープン1周年を記念して、皆様への感謝の気持ちを込めた価格での販売も致します。

ギャラリーも少しリニューアルしました。

どうぞお気軽にお越し下さい。

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パーソナル新聞で絆づくり

 「みんなのってるかい?!」なる名称の新聞をいただいた。大きさはB4である。今時珍しい手書きの新聞だ。適度な大きさ、ややゴシック調のとても読みやすい字体で書かれている。

トップ記事は「開港おめでとう 富士山静岡空港」。初年度から赤字が予想される空港だ。そんな点を憂いながらも、飛行機が大好きだと書き、上空を見上げ飛び立つ飛行機を追う。まるで少女が書いたかのような文面で、私は思わずほほえんだ。

 この新聞は、たまたまお茶をこの女性から買ったことが機で、お礼の手紙に同封されていたものである。

体調を崩して長い間新聞を書くのを休んでいたという。しかし、友人に助けられ、「人と人とのつながりがどんなに尊いものか、改めて考えた時、この絆を大切にしなければと思って」新聞を復活させたのだと、手紙文にあった。

そして、「ひとり、ひとりに宛てて、お手紙のつもりで」書いているという。

私はこうして日々の想いをブログ上で不特定の人を対象に書いているが、彼女は、自身とつながり有る「ひとり、ひとり」に心を込めて書いている。書くときの想いの深さは言わずもがなである。

そうした素晴らしい新聞を書いている女性、Mさんは50歳とか。5日の日曜日に改めてお会いした時、私は長い黒髪に思わず見入ってしまった。端正な顔立ちをより引き立たせていたからだ。私は与謝野晶子の短歌(『その子二十歳』)を思い出しながら見つめた。

ご本人から了解をいただいたので、新聞「みんなのってるかい?!」の写真を紹介したい。

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うれしい贈り物

 昨日7月5日は、「ささやき窯 楽友」がオープンしてちょうど1年になった記念すべき日でした。その日の午後、4人の生徒さんが賑やかに作陶していた時、花束が届きました。1昨年、共に陶芸の修業をした仲間からの贈り物でした。彼も私と同様50代で前職を投げ捨てて陶芸家の道に踏み込んだ男です。彼は長年陶器の町、6古窯の一つである愛知県瀬戸市の大きな陶器工場でデザインを担当していた、私よりはるかに陶器に関してはプロフェッショナルな人でした。彼にはいつも教わることが多く、私は彼を頼りにしていましたし尊敬もしていました。彼は瀬戸市で工房を構え、大きな陶芸教室の講師のアルバイトをしながら細々と、豊かに暮らしています。

 花束の中に手紙が添えられていました。あった、あった。またいつもの彼の口癖が。この言葉に触れると、私はホットしました。元気が出ました。やる気も湧きました。久しぶりに心を揺さぶられる彼からの嬉しいメッセージです。

手紙の最後にこう書かれていたました。

「村松さんも体に気をつけて、ゆっくり急いで、頑張らずに頑張りましょう。」

good贈られた花に庭のヤツデを添えて花瓶に挿しました

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工房内は笑顔と笑い満載

 今日も「ささやき窯 楽友」は賑わいました。作陶を楽しんだ皆さんの様子をちょっと記しておきます。

午前の部は4人の生徒さんが陶芸を楽しみました。小学2年のAちゃんは、前回祖父母にプレゼントするのだと飯茶碗を作りましたが、今回はコーヒーカップ作りに挑戦していました。

最近入会したばかりのMさんは小学校の教員です。3回目の今日も、径10ミリ、長さ30センチのヒモを15本作り、それを積み上げて筒形を作る練習をしました。高さ約18センチまで積み上げ、少しずつ引き伸ばして厚さを均一にするのですが、前回より格段に上達しました。流石です。

技術者のKさんは急須作りです。前回ヒモ作りの技法で急須本体と蓋を作ったのですが、今日はその削りを時間をかけてやっていました。最後に取っ手と注ぎ口を付けて完成です。いつも丁寧で細部にも気を配る作りをするKさんならではの出来栄えでした。

高校の教師をしているHさんは、現在電動ろくろに取り組んでいます。目指すは高さ14センチほど、口縁がラッパ状になったビアカップを完成させることです。今年の夏は自作のカップでビールを飲むのだと、学校でも放課後美術室にあるろくろで練習を積んでいる熱心なKさんです。今日はいよいよ本番。6個のビアカップを挽き上げげました。

午後の部も4人が制作に励みました。「ケーキ食べたいな」というユニークなメールアドレスを持つYさんとその友人Sさんは、黒御影土という黒い粘土で、S字形の剣山を作りました。次回はそれを入れる花器を作るのだと張り切っています。

Hさんは前回初めて象嵌(ぞうがん)をやりました。径21センチの皿を作り、皿の中心から渦巻き状の彫りを入れ、その溝に黄色土を埋め込みました。今日はかきヘラなどを使って余分な黄色土を取り除き、黄色の渦巻き線を浮き出させる作業をしていました。

いつもHさんと一緒にくるDちゃんは、23歳の青年です。今日は時計を完成させました。焼き上がった厚さ5ミリの長方形の本体に時計針などを取り付け、乾電池を入れると秒針が動き始めました。Dちゃんは目をきらきら輝かせ、「オー、やったぁ~!」とガッツポーズです。

工房内は今日一日、笑顔と笑い声、愉快なおしゃべり、そしてBGMが交錯した賑やかで楽しい雰囲気に満ちていました。

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皆さんいいもの作ってます その9

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この作品(やや大きめの飯茶碗:天目釉)は、体験陶芸教室に来てくれた若き女性、Sさんのものです。電動ろくろを駆使して作りました。彼女は美大で陶芸を専攻していただけあって見事なろくろさばきでした。大学卒業後しばらく陶芸から離れていたので、久しぶりにやってみたいと思い立ち、インターネットで「ささやき窯 楽友」を見つけて来てくれたのでした。

下記の作品(湯呑み碗:天目釉)はSさんと同じ職場で働いている、これまた若き女性、Mさんのものです。

初心者でしたが、彼女のろくろの腕前もたいしたものでした。

1月後、完成した作品を引き取りに来てくれた折り、今度は手びねりでSさんは直方体の脚付き植木鉢を、Mさんはハート形の皿を作りました。集中して、でも楽しげにおしゃべりしながらの作陶でした。

帰り際、「ここに来ると何故か癒されます。」と、彼女達は今度来るときには陶芸教室の生徒として入会したいとおっしゃってくれました。

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床屋嫌い

 散髪屋、理髪店、髪結床、床屋、いろいろ呼び名がある。私は「床屋」と言う事が多い。小学生の頃は、今は亡き父によく散髪してもらっていた。父は庭に椅子を持ち出し、そこに座らせ、風呂敷を首から巻き付けた。私が散髪嫌いになったのには訳がある。どこで手に入れたのか知らないけれど、外見だけはぴかぴか光ったバリカンやはさみの切れ味は最低だった。しょっちゅう髪の毛がバリカンにからみつくものだから、私は悲鳴を上げっぱなしだった。

 今日、理髪店で頭髪をすっきりさせてきた。髪が伸びすぎて、額や首筋にまとわりつくまで散髪する決断が下せないでいた相変わらずの私である。

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