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2009年8月

2009年8月30日 (日)

脱動力の旅あれこれ⑰~出会い~⑬

 民宿にはなじみの客なのだろうか。宿のおばさんが気軽に名を呼んでいる二組の泊まり客がいた。共に親子連れである。風呂に入ろうと、1階の食堂で順番を待っていると、床を掃いたり、テーブルを拭いたりして忙しそうに働いていた臨月間近の女性=今日が出産予定日だと後から知る=が私達に話しかけてきた。静岡から自転車で走ってきたと言うと、大変驚いていた。理知的で聡明な話しぶりと身のこなしが、化粧っ気のない顔であるにもかかわらず、美しい輝きのある顔にさせていた。これから石川県羽咋市まで走るのだと話が進むと、彼女は、頑張り屋の親子がこの民宿に泊まった記念に色紙を書いて欲しいなどと、心底感動している様子だった。

 私達が、この民宿「おもや」に飛び込んだ直後、スーツケースを抱えて玄関に入ってきた男性がいた。民宿に来るのにスーツケースとは・・・、といぶかしく思っていたら、臨月をひかえたあの女性の夫君であった。夕食時、少し彼と話す時間があった。彼は女性と横浜に住んでいるのだが、横浜市役所の国際課職員として上海に出張中だったという。奥さんの出産が近いので中国から帰国し、急いで奥さんの実家である民宿に来たのだった。

 

 民宿は堤防を挟んで海が目と鼻の先にある。漁り火が揺らめいて見える。立石岬の灯台の光が薄暮の海を切り裂きながら移動していく。

北斗も私も食欲が出てきた。刺身、さざえ、海老フライ、魚の煮物など私は全部平らげてしまった。息子も全部食べきった。これで睡眠を十分にとれば、明日も100キロ以上走れそうだ。

 翌朝7時、私達は今日の宿泊地、芦原温泉目指して出発した。

民宿のみなさんが手を振って見送ってくださった。私は「無事出産されますように!」と言った言葉を奥さんにおくって手を振った。

 

 越前海岸の美しい景観を楽しみながら走る。穏やかに寄せる波が荒々しい岩を優しく包み込んでは引いていく。鋭く浸食された岩々は冬の日本海の猛攻を彷彿とさせる。岩間に流れ込む波が渦を巻きながら白く砕け散る。白濁はやがて薄青色の清澄に変化する。狭い砂浜からは海水浴客の歓声が聞こえてきた。

 私達は4日目にして初めて心軽やかな楽しい気分で自転車と突き合うことが出来たのだった。

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2009年8月29日 (土)

大好きな空気

 「小林みろです。よろしくお願いします。」「川崎眞菜です。よろしくお願いします。」

小学3年生の女の子が少し照れながら一礼すると、小学1年生の女の子もはにかみながら挨拶を返す。

みろさんの妹(幼稚園児、年長)は、両手を体の前で組みながら深々とおじぎをした。

 初めて顔を会わす幼い子供達がかわす挨拶はとても新鮮だった。かわいらしかった。

大人の会員もしないわけにはいかない。彼らも立ち上がり笑顔で子供達に挨拶をした。

 幼い子供達がかもし出すやわらかな空気がわたしは大好きだ。

good駿東郡清水町から通ってくる眞菜ちゃん

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winkやわらかな空気ただよう工房

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2009年8月28日 (金)

脱動力の旅あれこれ⑯~出会い~その⑫

 我が家のパソコン君がどういうわけか急に無届けの休暇をとって、どこかに出かけてしまいました。2日間も。しょうがないですねえ。でも、許してあげます。いつも私にこき使われているのですから。今日、ようやく戻ってきて正常に動き出してくれました。

 さて、自転車旅行記の続きです。疲れと生水の飲み過ぎから食欲を失いながらもなんとかたどり着いた2日目の目的地、琵琶湖畔のキャンプ場。翌朝、親切な夫婦にパンとコーヒーを振る舞われ、その好意に感謝しながら9時にキャンプ場を出発したのだった。

 案の定3日目は体力が回復せず辛い走行となった。この日の目的地は越前町である。しかし、敦賀市まで走ってくるのがやっとのありさまだった。

琵琶湖から敦賀に至る国道8号線は、日計山と行市山の谷合を抜けるだらだらとした長い坂が続いている。時速は一気に歩く速さにまで落ち込んでしまった。相変わらず喉の渇きが激しい。舌ベラも白くざらざらとした状態が続いている。

 苦労して坂を上りきり、敦賀市に入ったのが午後3時頃だった。坂を過ぎたと一安心していたら、その先も急に狭くなった8号線を自動車に脅かされながら走ることとなった。やがて、700メートルほどの鞠山トンネルを怖々と抜けると平坦な海岸線になった。「赤崎海水浴場」の看板が目に飛び込んできた。「温水シャワー 百円」の掲示に目が奪われた。私は、汗を流したいという欲求にかられた。同時に息子が言った。

「お父さん、ここで泳ごうよ。今日はここらへんで泊まろうよ!」

息子が初めて弱音を吐いた。これまで抑えていた子供らしさが顔を出したのである。休憩時間を除けば、どんな坂道も歩くことなくペダルをこぎ続けてきた。汗が滝のように噴き出ては乾き、北斗の黒いTシャツから、ズボンから塩が浮き出ている。海水浴場を目の前にして泳ぎたい欲求にかられるのは当然のことである。だが、ここで水に入ってしまえば走るのが更に辛くなる。越前町までは無理にしても、もう少し距離を稼いでおかなければならない。私は息子を説得した。彼は不満そうな表情を見せながらも、ここでは諦めてくれた。胸が痛んだ。

海水浴場の管理人の男に、キャンプ場が近くにあるか尋ねると、5キロほど先にあると教えてくれた。不満顔の息子に「がんばれよ!」と、励ましの声をかけて送り出してくれた。嬉しい一言だった。

 30分は走っただろうか。また海水浴場があった。江良海水浴場とある。2軒の民宿を私はめざとく見つけていた。走りながら決めていたのだ。これ以上走る気持ちを私もなくしていたからだ。「今日はどこかの宿に泊まろう」

4時半を過ぎていた。迷わず一軒の民宿に飛び込んだ。幸いにも空き部屋はあった。息子は部屋にはいるとすぐに水着に着替えた。笑顔が浮かんでいる。

海は鏡のように平らである。生温かな海水だ。藻が海底にへばりついているのが見えた。泳ぐのにためらうほどだ。北斗はすぐに海から出てきてしまった。

太陽は西に大きく傾き、湾を薄赤く染め始めていた。立石岬の灯台が一定の間隔で光を回している。

キャンプの予定を断念し、民宿に泊まるのは余分な出費となる。しかし風呂に入り、畳の上で寝れば、あと2日頑張れそうな気がしてきた。体力の回復をここで図るには余分な出費もやむを得ない。

 

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2009年8月25日 (火)

“多子化”現象呈した我が家

 5才児3人、小学3年3人、小学4年1人、計7人のかわいらしい声が一日中響き渡りました。

 愛知県刈谷市の3組の家族が集合。

 私は工房で子供達がはしゃぐ声を聞きながら仕事をしました。子供達の上げる歓声はとても心地良いひびきです。

 水遊び、ゴム跳び、バレーボール、サッカー、キックーボード・・・。

 炎天下で次々に遊びを変えながら飛び回っている子供達。

きょう一日、我が家は少子化ならぬ、“多子化”現象を呈していました。

 あっちの路地、こちらの原っぱで飛び回る元気な子供達の姿は絶えて久しいのに。

good腹ごしらえして、午後の遊びに備えます!

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「何が楽しかった?」子供達に一日を振り返らせました。

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2009年8月24日 (月)

「私の人生は豊かなものになりました」

 「(息子)のおかげで豊かな人生となっております」

最近いただいたメールの一文に私は感激し、返事を書きました。

息子さんは障がいをかかえています。既に成人に達している、心やさしい笑顔の素晴らしい男性です。
私は、「あなたが、(息子の)おかげで豊かな人生となっている」と達観するまでには多くの辛苦、修羅を越えてきたのでしょうね。そして、現在、そうした心持ちになられたことに感激し、「ありがとう」と言いたくて書いたのだと返信しました。

翌早朝、再びメールがありました。

私は何度もかみしめるように読みました。嬉しくて、心がきゅんとするのを感じながら。

私はメール送信者にブログ掲載の許可を得、みなさんにも是非読んでいただくことにしました。

許可にあたって、作者はこう書いていました。

「(ささやき窯には)障がいのあるお子さんを連れてくる若いお母様達が時折いらっしゃると伺っています。・・・その方達に私からのエールもこめてどうぞ(私の一文を)使ってください。」

clip  お忙しいのに心あたたまるメールをありがとうございました。

 先生のメールを読んで振り返るに、辛苦とか修羅といったものが何一つ思い浮かばないことに自分でも驚いています。

 あったはず、泣いたはず・・・と思うのに、そのときそのときに出会った方々の顔が次から次へと浮かんでくるのです。そして皆さん笑っている。

 多分、天才的に絵がうまいとか音楽的に才能があるとか、そういうものが何一つない息子ですが、私のところへ笑顔を運んでくる才能だけは世界一かもしれません。

だから、「私の人生は豊かだ」と思えるのだとおもいます。私の心の中は笑顔でいっぱいなのです。

  

 ただ白状すると、ひとつだけなるべく開けないようにしている心の小箱のようなものを持っています。それは息子に、「生まれてきてよかったとおもう?」という問いをしたら、何て答えるのかな・・・、という思いです。

 「生まれてきてよかったよ」と言ってくれるのか、

 「お母さんの人生を豊かにするために生んでもらいたくなんかなかった」と言うのか。その答えをきくことは永遠にないので、またその小箱は閉じて心の隅っこにしまうこととなります。

 その反動かな・・・。関わる障がいのある人々、もっと言えば障がいのない人々にも、つい「生まれてきたって、それだけですごいね」とか、「生まれてきてくれてありがとうね」 といいたくなる。そう思いながら生きていられることが、また私の人生を豊かにしてくれているのかもしれません。

 先生にお世話になってから、永遠にきくことができないとおもっていた答えが、息子の作品の中にあるような気がしています。良かったとか悪かったとか、そういう答えではなく、作品をのこす息子の時間がそこにあったことが形になってのこっている。

 僕の人生は他の人となんらかわりない価値のある時間の積み重ねなんだと、私に伝えてくれているようで救われるのです。思い込みかもしれないのですが・・・。

 

 このメールの作者は障がいがある息子の将来のために、更に一歩を踏み出そうとしていると聞きました。理解ある周囲の人々に見守られている息子を、「虎が子供を崖から突き落とす」がごとき心境で、社会の中に送ってみようとしています。     

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2009年8月23日 (日)

ささやき窯にぎわう

 忙しくも嬉しい3日間でした。

注文のあった品の作成に追われながらも、連日体験陶芸に訪れる方々を応接する喜びを感じています。

私的なことながら、2組の娘家族と息子たちもやってきて、家の中は一気に12人の大家族となった週末でした。

ブログを書く間もないほどでした。

 この3日間、体験陶芸に来てくださった方々の様子を簡単に紹介します。

21日は、モコさんが名古屋のお友達を連れてやってきました。最初緊張気味だったお友達(山内さん)でしたが、粘土遊びに夢中になるにつれ、笑顔とおしゃべりが出てきました。楽しんでいただいてよかった、と思いました。

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そして夜間の部には2組、4人の方が来てくださいました。1組は、私の妻の従妹とその友達です。夕食作りの手伝いまでしてくれました。友達の作ってくれた濃厚なパンプキンスープは頬が落ちそうなほど美味しいものでした。もう一組は、やはり妻の親友ともいえる仲良しの女性とその弟さんです。

 4人そろってマグカップ作りをしました。

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22日は午前、午後の部とも会員さんで賑わいました。

会員さんの中で最も遠方から来て下さっているのが、川崎母娘です。小学1年のまなちゃんは、この日はたった一人でやっていきました。私にもすっかりなついて、おしゃべりもよくしてくれます。2時間半、飽きることなく熱心に取り組んで、3個の飯碗を作り上げました。陶芸が終わると、進んで後片付けをしてくれました。

午後の部には、母娘、嫁姑、夫婦という組み合わせの会員さんが来ました。

そして今日23日、今夏最後の子供体験教室を実施しました。相良の松本子供会の皆さん、総勢18名が来てくれました。明るく元気、そして礼儀正しい子供達でした。お母さん、お父さん達も楽しそうにやっていました。夏休みの一時、親子いっしょになって造形遊びに興じる場を、「ささやき窯 楽友」に求めて下さった子供会世話役のカズさんに感謝します。

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皆さんが帰った後、暮色の中に大きな虹がかかりました。

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2009年8月20日 (木)

もこさん、皆さんありがとう!

 以前紹介したことがあるパーソナル新聞の作者もこさんは、当陶芸教室の生徒として入会してくれました。今日で2回目となりますが、前回同様、お友達を誘って来てくれました。前回は3人、今日は2人です。前回も来てくれた小原さんと娘さんの玲奈さんでした。明日も、もこさんは名古屋のお友達を連れて来てくれることになっています。

「ここへ来ると何故か癒されるのよね。」とおっしゃるもこさん。

そんな思いをお友達に広めてくださっていること、とても嬉しく思いました。「ささやき窯 楽友」を応援してくださっているもこさん、ありがとう!

ここに来てくださっている全てのみなさんにも感謝申し上げます。

 さて、小原さん母娘の作品を紹介します。

good上がお母さんの作品(花瓶)。下が娘さんの作品(マグカップとスプーン)

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 お母さんはスケッチブックに絵を描いてから作り始めました。初心者には、その通りに作り上げることはなかなか難しいものです。それでもそれらしき形が出来上がりました。ユニークな造形です。花が生きそうな花瓶だと思いました。

 玲奈さんはとてもほんわかとした雰囲気を醸し出すきれいな娘さんです。てらいのない造形は、彼女の飾り気のない心を表わしているようにも思いました。

good体験陶芸をしている小原母娘の前で、熱心に基礎練習をしているもこさん。

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2009年8月19日 (水)

脱動力の旅あれこれ⑮~出会い~その⑪

 ひがみっぽい老女に出会った。

 これも初日のことである。愛知県宝飯郡小坂井町で一休みしていたときのことだ。国道1号線沿いの小さな神社の境内で休んでいると、二人の老女が寄ってきた。境内奥にある切り株に腰を下ろしていた二人である。一人が私達に声をかけてきた。

「どこへ行くんだね。」

私の答えを待たずに、次から次へとしゃべり始めた。

「わしらんちの娘は岐阜に帰っていて孫もおらん。子供は小さいときがいいさね。大きくなってしまやあそれっきりさ。」

もう一人の老女はいつの間にかいなくなっていた。

「あのばあさん薄情だのう。どんどん行っちまったよ。ついこないだまで病気で、わしゃあいろいろと面倒みてやったのに。人の心はわからんもんさ。人はみかけによらんねえ。」

 娘夫婦が子供を連れて岐阜に行っているのだ。今この老女は家で一人きりなのだろう。話友達のもう一人の老女が病気して、見舞ったり、面倒をみてあげたりした時に、もしかして彼女の裏側を見たのかも知れない。

子供を連れた中年の私に愚痴の一つも話したくなったのだ。私は黙って聞いてあげた。彼女はよほどうれしかったのだろうが。

「お金持ってりゃあ、この坊やに10円やったのに・・・。」

今時10円などとは、と思ってしまったが、彼女にしてみれば精一杯の感謝の言葉に代えた言い回しだったのだろうと受けとめた。

Hokuto

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2009年8月18日 (火)

陶工 加藤錦三氏との出会いのこと

 趣ある「巻手紙」を送って下さった瀬戸市在住の陶工、加藤錦三氏(80才)について、昨日に続いて書いておきたい。今日は、氏との出会いのことである。

 一昨年、私は愛知県瀬戸市にある県立窯業高等技術専門校を受験した。合格すれば、単身瀬戸に移り住み、1年間ひたすら陶芸の勉強をすることになる。瀬戸市は陶産地だ。陶芸家も大勢住んでいる。私はインターネットで瀬戸在住の名だたる陶芸家を調べた。幾人かピックアップしておき、いずれ訪ねてみようと思ったからだ。お会いしたいと思った陶芸家は21人。その中でも、特にお会いしたかった方が加藤錦三氏だった。

   “肩書きのない陶工で光りたい”

   “志野・黄瀬戸・織部焼が僕のライフワーク”

   “中学生と対話し、感性を高め心を磨いてきた30年間は僕の誇りである。”

 これは、ホームページ上の錦三氏の紹介文である。私はこれに惹かれた。すぐにでもお会いしたいと思った。

 他の陶芸家の紹介文とは大きく異なっていたからである。ほとんどが陶歴をずらりと書き連ねている。何とかの展覧会で入賞した、銀座のギャラリーで何回個展を開いた・・・などとある。錦三氏のものは上述したような短い文だけだ。殊更「肩書きのない陶工で光りたい」なる一文は、私の心を捉えた。そしてもう一つ強く惹かれた一節があった。

  “道草をして人生は深くなる”

私は勇気をもらった気がした。

早期退職し無収入の身でありながら、単身、瀬戸で陶芸の修業をしようと決意していた時である。とはいえ、将来の生活に活路が見いだせるのか、大きな不安を抱きながらの見切り発車の決意だった。そんな時に出会った錦三氏の言葉、“道草をして人生は深くなる”は、私の心を奮い立たせた。

「その通りだ。道草も悪いものじゃあない。より人生を重厚にさせてくれるかも知れない。」

私は大いに納得し、受験勉強に一層力を入れた。一刻も早く錦三氏にお会いしたかった。

 受験当日のことである。私は受験がおわると即座に錦三氏のお宅にアポイントもなしに訪ねた。あいにく不在だった。

ホテルに泊まり、翌朝再び行ってみた。その日、錦三氏とお会いした最初だった。

懐が深い人間味豊かな方、陶工としての実力は相当なものだろうに、おくびにもそれを出さない謙虚な方だった。私が思っていた通りの素晴らしい方だった。

瀬戸在住中、幾度となく錦三氏のお宅を訪ねた。錦三氏は、いつも奥さんとお二人で私を迎えて下さった。

たくさんの教えを頂いた。

「作品には人間が出ます。常に人間を磨いておくといいですね。」

心に残っている教えである。

 

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2009年8月17日 (月)

巻手紙届く ~人生は80から~

 先日(8月9日)ブログで紹介した瀬戸市の陶芸家、加藤錦三氏から地震見舞いの手紙が届いた。

 氏の手紙は巻き手紙である。およそ50センチの和紙に筆でしたため、必ず季節に照応した花の淡彩画を添える。かつて中日新聞に大きく取り上げられるほど、氏の巻き手紙は何ともいえない趣と温かみがある。

 今回いただいた手紙の中に、こんなくだりがあった。

「80歳を迎えて、人生は80からと、唐九郎師(桃山時代の陶芸の研究・再現に努め、卓越した技量を示した陶芸家 加藤唐九郎のこと。錦三氏は弟子として唐九郎と一緒に良質の土を探し回った体験を持つ。)からよく言われていまして、本当にこの頃多忙になりました。」

私は、彼の多忙さが何なのかすぐには理解できなかった。瀬戸市の無形文化財保持者に指定されている陶工のお一人だから、注文がひっきりなしにあってお忙しいのか、と思いきや、そうではなかった。

16才の時、広島での被爆体験をもつ錦三氏は、「もう忘れたかった。話したくなかった。」あの時のことを、「子供達に平和の大切さを伝えたい」と、講演活動を始めたのだ。

巻手紙の最後に、こう書いてあった。

「被爆者の一人として、声を大にして平和を叫んでいます。」

そして、別紙には、20年ぶりに広島に行ったことが書かれ、句が添えられていた。

 被爆地平和を願う蝉の啼く

 広島は世界平和の発信地

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2009年8月16日 (日)

兵庫県のお客さん

 午後、体験陶芸の予約が電話でありました。

数分ほどしてから、家族4人が訪れました。兵庫県西宮市の方達でした。盆休みを利用して家族で旅行をしている小林一家です。昨日は川根本町の寸又峡へ行き、今日SL列車に乗って金谷まで戻ってきたのだそうです。そして、「お茶の郷博物館」を見学し外に出たところで、「ささやき窯 楽友」の看板を見つけ、急きょ予定を変更して来てくださったのでした。

小学2年の宏明君、6年の由佳さん、そしてお父さんの宏行さんがマグカップとスプーン作りを楽しんでくれました。お母さん(お名前を伺うのを忘れました)はもっぱらビデオ撮影です。それでも時々お父さんと交代してはマグカップ作りをしていました。夫婦共同制作というわけです。

 夏休みの工作の一つとして、ここで作った陶器を学校に提出したいのだとお聞きした以上、なんとか間に合うように焼き上げて送ってあげたいと思います。

 「ささやき窯 楽友」に立ち寄ってくださった小林ご一家、ありがとうございました。

これを書いている午後11時半も、小林さんたちはまだ車の中かも知れません。ご無事に到着されることを祈っています。

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2009年8月14日 (金)

脱動力の旅あれこれ⑭~出会い~その⑩

 こんな書き留めておきたい言葉にも出会った。

初日、昼食のために立ち寄った朝鮮料理店「いわいや」の壁に掛けてある墨筆の言葉だ。

   雪のように清浄でありたい

   しかし雪のように冷たくありたくはない

   また、雪のようにすぐに不浄の中に溶けてしまいたくもない

赤子のような純粋無垢な生き方を目指した言葉だと解釈したが、私なんかは単純にこうした言葉に惹かれてしまうのだ。日常、こうした心から離れてしまうことが多いだけに、よけいに新鮮に感じるのである。

 私達が昼食一番乗りであろうか。40畳はありそうな、広い畳みの間にはまだ他の客はいない。私は息子と大きな座卓に座った。冷房のスイッチが入れられたばかりだろう。効いていない。自転車走行直後だから汗が噴き出てきた。北斗にとっては朝鮮料理は初めてである。息子は、訳も分からず朝鮮風冷麺を注文した。すると、黒のスラックス、黒のTシャツ姿の大柄な女店員が、親切にも、どんな料理か息子に説明し始めた。普通の冷麺との違いは何かとか、少し辛いけれど大丈夫かなどと・・・。

 しばらくすると女店員が冷麺を持ってきた。そして今度は息子に食べ方の指南である。麺の上の具はよくかき混ぜること、そうすれば上に乗っかっている辛子が薄まるから食べられるよ、と。

 注文の品は客の好みで決まる。どの程度食べるかも客の味覚、腹具合、そして少しの考え方で決まるはずだ。「考え方」というのは、せっかくお金を払って食べるのだから、たとえ美味しくなくても食べてしまわないともったいないと考えるか、料理してくれた人や店員に申し訳ないと考えるか、はたまた、こんなまずいもの食えるか、といった意思表示のために食べ残すか、といった極めて狭小な考えをいう。

だから、残そうがどうしようが、客のそうした好みや考えにまで店員は口をはさむことはほとんどない。ただ注文された品をテーブルに運んでくればいいのである。してみると、この女店員はおせっかいやきなのか。ではなさそうである。朝鮮料理を初めて口にすることを知った女店員の親切心がそうさせたのだ。

「雪のように~」の心を実践しているのかも知れない。

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2009年8月13日 (木)

モコさんのパーソナル新聞 第2弾

 数日前に、以前紹介したことのある"パーソナル新聞"が郵送されてきました。

モコさんが手紙代わりに、知人宛に書いている新聞です。

手書きのところがたまらなくいいのです。今回はA4版の用紙に優しさあふれる、わかりやすい字体で書かれた新聞です。

 どうぞ、みなさんも読んでみてください。

Mitisita

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2009年8月12日 (水)

「楽しみなはれ 人生1回」

 地震の被害ほとんどなし、ということで予定通り妻と旅行に出た。東名高速全面通行止めの影響大きく、一般道は車・くるま・クルマ・・・!!

それでもめげずに、窓外の街並を眺めることを楽しみながら走った。

宿泊先は、河口湖(富士五湖の一つ)近くにあるホテル「鐘山苑」である。広大な敷地に日本庭園があり、部屋から出てそこを散策する楽しみ、夕食後の和太鼓の演奏や花火大会、盆踊りなど、宿泊客を楽しませる様々な企画もさることながら、このホテルの最大の良さは従業員の笑顔である。懇切丁寧なもてなしである。だから今回の旅行はこのホテルでゆっくりすることだけを目的にした。2度目の宿泊だが、すでに来年も来ることを決めている。

このホテル庭園の一角にある「こもれび庵」で心惹かれる人に出会った。

伊東祐則(いとうすけのり)さん。故市川雷蔵や故長谷川一夫(いずれも映画俳優)の弟子だった方だ。伊東さんも俳優を目指していたらしい。その彼が『健康・癒し・幸せ』を願って描き続けているという書を「こもれび庵」で見た。

私は迷わず一つの書を買い求めた。

       楽しみ

        なはれ

      人生

       一回

 私が早期退職したとき、反対する妻を説得した言葉と重なったからである。

 「人生お一人様 一回限りだからね」

 そう私は言って、我が儘を通したのだった。

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渋滞に巻き込まれながらもなんのその、結構楽しみながら帰宅した。

さっそくメールを確認した。

地震のニュースを聞いた瀬戸時代の仲間から安否を気遣うメールが幾つも入っていた。昨日電話をしてくれた仲間もいる。ほんとうに嬉しい。

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2009年8月11日 (火)

地震発生

 早朝の大きな地震は、私と妻を驚愕させた。まだベッドの中だったが、地震の瞬間私はどうすべきか全く分からなかった。妻は慌ててベッドに立っていたと、後で聞いた。

 余震が怖かったので急いで外に出ることにしたが、雨が降っていたため玄関先で座っていた。余震は感じなかった。

 落ち着いてからギャラリーや工房、ログハウス、屋根瓦の破損状況などを見て回る。幾つかの陶器が床に転がったりして壊れていたものの、たいした被害はなかった。

 東海地震が叫ばれて久しい。それが近いという前兆なのだろうか。備えを更にきちんとやろうと誓った。

 みなさんのところは大丈夫でしたか?

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2009年8月10日 (月)

夏休み子供体験教室Ⅳ 

 祖母のMさんと一緒に来た剛流(タケル)くん、4才。「一緒に来た」と書いたけれど、これは間違っています。タケルくんは、この日をすごく楽しみにしていたのだそうです。祖母のMさんの本心は、キャンセルしようか迷っていたらしいのです。なぜなら、タケルくんの弟が今日にでも生まれそうだったからです。孫を連れて陶芸をしているどころではなかったのです。でも、タケルくんがあまりにも楽しみにしていたので、予定通りやってきたのでした。だから、「タケルくんが祖母を引きずり出して来た」と書いた方が正しいのです。

 工作や絵を描くことが大好きだというタケルくんが作ったマグカップや皿、スプーンは、4才の子が作ったとは思えないほどの出来栄えです。形が整っていながらも子供らしさのあるものでした。

 Mさんは内心そわそわしていたかもしれません。携帯電話をそばに置き、出産の報を今か今かと待っていたのですから。

 

陶芸をやり終えてしばらくして「男の子誕生」のメールが、Mさんの携帯電話に入りました。

 

 タケルくん、おとうとの誕生お・め・で・と・う!

 Mさん、そしてタケルくんのおかあさん、おとうさん、ほんとうにおめでとうございます!!

good「ばあば、出来たよ」「じょうずにできたね」

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good綿棒で伸ばしてカップの胴体部を作っているタケルくん

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2009年8月 9日 (日)

合掌の8月

 8月は黙祷を捧げる日が3回ある。6・9・15日だ。

 今から40年も前のこと。高校の修学旅行で広島原爆資料館を訪れた。原爆の威力、人間が考え出したにしてはあまりにもおぞましい兵器に対する怒り、それを投下したアメリカへの憎しみ、何よりも「ピカドン」の犠牲になった人々の変わり果てた姿・・・・・。私は言葉を失い、なにかに取り憑かれたように資料館の隅から隅まで見て回った。バスに戻る時間も忘れて。

 大学生になり、私は平和運動などに加わった。そして、教壇に立ってからは大江健三郎氏の『広島ノート』を教材化して原爆について生徒と一緒に考えた。

 私の子供には広島と長崎に連れて行き、原爆の語り部の体験談などを聞かせた。そして毎年6・9・15日にはテレビを見ながら子らと一緒に手を合わせ続けた。

 私が尊敬する瀬戸市在住の陶芸家加藤錦三氏は、かの陶工、加藤唐九郎の弟子である。一昨年、瀬戸で修業をしていたとき、私は錦三氏のお宅に再三お邪魔し、お話を伺うことが何よりの楽しみだった。あるとき氏は「私は16歳の時に広島で被爆したんだよ。」とポツリとおっしゃった。氏は「憲法9条を守る会」に所属し、平和を訴え続けている。

 修業を終え、瀬戸市を離れる直前、氏のお宅に挨拶に行った。その時頂いた著書『円空仏』の中には、氏の想いが川柳で書かれている。

 原爆で死の海を見た16才

 九条を変えて武器など持ちたがる

 原爆忌被爆の16才を語る

 被爆して喜寿を迎えて生きている

 被爆者として九条は守らねば

 

 77才土と語りし50年

 錦三氏は、この本の裏表紙にこう書いてくださった。

          いい人に

          出会えて

          人は

          人になる

 

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2009年8月 8日 (土)

脱動力の旅あれこれ⑬ ~出会い~その9

(琵琶湖畔の宇賀野キャンプ場には、午後9時になってようやく到着した。枝を広く伸ばした背が低い松の下にテントを張って寝たのは10時半を回っていた。)

 翌朝私は5時に目覚めた。テントの入口をはねのけ、外を眺めた。琵琶湖の淀んだ湖面が見える。水位が下がっているようだ。わたしは琵琶湖をぼんやりと見ていた。

 今日も暑い一日になりそうだ。出発予定は9時と、かなり遅めにした。だいぶ余裕がある。これ以上眠れそうにないので起きることにした。

 昨日の汗だらけの着衣を洗濯し、自転車に必要な部品を取り付ける。北斗はまだテントの中でぐっすり眠っている。胃の具合はどうだろう。体力は回復するかしら。

 このキャンプ場は、宇賀野の老人会によって管理されている。清掃がよく行き届き清潔なキャンプ場が造りだされていた。私達が発つ少し前から10数人のお年寄りが集まり清掃に精を出していた。シーズン中は交代で毎日行っているのだろう。

 洗濯をしているときに声を掛けてきた婦人がいた。

「きのうの夜到着した人でしょ。私達の前にテントを張った。どこから来たんですか。」

「よかったら後でコーヒーをいれますからどうぞ。」

と人なつこい笑顔で話す。

息子とコーヒーとパンをいただいた。福井市に住んでいるという。テントを持って、よくぶらりと出かけるのが好きなのだそうだ。静岡に住んでいたことがあるらしく、金谷がどこにある町か知っていた。おっとりとした口数少ない旦那さん。しっかり者の話し好きな奥さん。仲むつまじいお二人からいただいた好意がとてもうれしかった。今日一日走る力をもらった気がした。

 やはり食欲は私も息子もないことがわかった。テントの中で舌を見せ合う。まだ二人とも白いままである。今日は無理できないなと私自身に言い聞かせた。

Biwako

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2009年8月 7日 (金)

夏休み子供陶芸教室Ⅲ (素敵な父子)

 3人の男達が陶芸をやりにきました。

赤銅色の顔や腕。すがすがしい瞳。礼儀正しい立ち居振る舞い。そんな好感度抜群の男達です。

 小学6年生と中学3年の息子、そしてお父さんの3人です。

 数日前にお父さんから電話で体験陶芸の申込みがありました。柔和で控え目、丁寧な話しぶりから、素晴らしいお父さんに違いなかろうと想像していました。案の定です。

 作陶中の親子の会話は実に穏やかで、相互信頼が成り立っている親子だと感じました。

 作った作品は3人ともマグカップです。他には、お父さんはスプーン、弟さんは小ぶりのコップ、お兄さんは脚付きねじれ長方形皿も作りました。

 

「ありがとうございました!」

帰り際、お礼の言葉も実に爽やかでした。

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2009年8月 6日 (木)

脱動力の旅あれこれ⑫~出会い~ その8

(体力の回復状況によっては、自転車旅行を断念せざるを得なくなるかもしれない。私の心は大きく揺れた。)

 ホテルか旅館に泊まって風呂に入り、十分休んだ方がいいかもしれないと、何度も頭に浮かべては打ち消した。ところが、私の気色を伺っていた息子が、急に顔を上げて言った。

「だいじょうぶだよ。がんばってキャンプ場まで行こうよ。」

 この言葉は私にとっては何よりの特効薬ではある。しかし、彼の体力と現在の状態(夕食をほとんど食べることが出来ないくらい食欲が落ちている)では無理することは禁物だ。かつて息子と北海道旅行をしたとき、ユースホステルで寝冷えをしたのが原因で、40度近い熱を出され、閉口した苦い経験がある。

 念を押す。

 北斗には迷いはない、そんなきっぱりとした返事が返ってきた。

「せっかくここまで来たんだから、お父さん行こうよ。」

 顔色を穴の開くほど見る。目の輝きを探る。声の張りを証明するかのような状態だと判断した。ままよ!とばかりにキャンプ場を目指すことにした。

 自転車旅行の最大の目的は「ここ」に有る。絶好の状況に置かれたことを喜ぶべきかも知れない。体力を使い果たす寸前の息子。しかも食欲は皆無の状態だ。それでも、この日の目的地まで自力で行き着かなければならないのだ。息子は近くのホテルに泊まる方を選ばず、自らの体をいじめる方を選んだのである。

 食堂を出た。21号線の交通量は極めて少なくなっている。並行している名神高速道路にはライトの流れが間断なく続いているのが見える。それらの道路に迫っている黒々とした山が私を威圧しているかのように思えた。

 名神高速道路と北陸自動車道の分岐点、米原ジャンクションを過ぎ、国道8号線に突き当たった。食堂からさほど時間はかからなかった。関ヶ原であの親切な親子に道を教えてもらった所まで走ってきたのだ。キャンプ場まであと少しというところまで自力で走って来られたのである。

 琵琶湖畔にある宇賀野キャンプ場には、午後9時になってようやく到着した。枝を広く伸ばした背の低い松の下にテントを張って寝たのは10時半を回っていた。

Tent

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2009年8月 5日 (水)

脱動力の旅あれこれ⑪~出会い~その7

 21号線に入った頃にはライトが必要になっていた。道幅が狭い国道である。後方車から確認できるように、反射たすきと点滅腕章をつけた。この国道は名神高速道路と並行している。東海道本線も北側を走っている。関ヶ原を越える交通の要所だ。しかし、民家が点在する暗い道である。食堂もありそうにない。息子との無線のやりとりが途絶えがちになってくる。このぶんではキャンプ場到着は午後9時を回るだろう。不安とためらい。夕食をすましたら適当な場所を見つけて野宿するしかないという考えが頭をよぎった。そのことを息子に告げると、「行こうよ。がんばろうよ!」と言う。その言葉に励まされながら21号線の長い坂に挑む。

 

 米原町の一色あたりに着いたのは午後8時を少し過ぎたころだった。

“樹里”という食堂を見つけ、そこで遅い夕ご飯を食べた。

(この日の朝はサークルKのおにぎり、昼は名古屋市内のあちこちで見かけた「べんとまん」のほかほか弁当だった。それぞれの店の前で敷物を広げて食べた。「べんとまん」の店先で食べたときは、私達の前を沢山の通行人が足早に歩いていた。彼らは軒下のわずかな日陰に腰を下ろして食べている私達に視線を移しながら通り過ぎていった。その中の一人、ベレー帽の老人が近寄ってきて、どこまで走るのかと聞いてきた。)

この日初めてゆっくりと食事ができる。私はカツ丼定食、北斗はカツカレーを注文した。ところが、出された料理を前にして食欲が湧かないのだ。息子はカツを2切れ食べるのがやっとの有様。私もご飯をほとんど食べることが出来ない。原因は解っていた。水分の摂り過ぎと疲れで胃が弱っていたのである。

名古屋を過ぎたあたりから唇の乾きが進み、舌が白っぽくなっていた。渇きも激しいので、水を必要以上に飲んだのがたたったのだ。しかも生水である。ガソリンスタンドやコンビニなどでもらった生暖かい水である。北斗は休憩の度にサキイカを頬ばったのもいけなかった。

出された料理のほとんどを残したのは私には初めてのことだ。食堂の人に申し訳ない気がして、レジで理由を話した。

「決してまずかったわけではないですよ。」などといいわけがましいことまで言ったりして。

疲労は極限に達している。ほとんど食べることが出来なかったのだから、この先体力の回復は難しい。私は、ほとんど手つかずのカツカレーに空虚な視線を落としている息子の体のことを思った。昨日同様、今日も無理をしすぎた。私は大人だし、息子を連れているという父親としての責任の重さと、適度な緊張感が疲れを打ち負かしている。しかし、北斗の表情は焦燥しきっていた。このまま走り続けキャンプ場に到着したとしても、狭いテント内では十分な睡眠がとれないかもしれない。体力の回復状況によっては、自転車旅行を断念せざるを得なくなる。私の心は大きく揺れていた。

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2009年8月 4日 (火)

脱動力の旅あれこれ⑩~出会い~ その6

 2日目にも関ヶ原町で忘れがたい人たちに出会った。長浜までの道を親切に教えてくれた主婦とその息子さんである。

 刈谷市を出発したのが早朝6時。名古屋市内を長い時間かけて走り抜け、木曽川・揖斐川(いびがわ)をまたぐ「東海大橋」を渡り、南濃町のだらだら坂を越え、関ヶ原町に至ったのが午後6時頃だった。この日の目的地は琵琶湖畔にある宇賀野キャンプ場である。まだ23キロも先だ。

 国道365号線を北上し、国道21号線を横切ったあたりで地図を開いた。両国道とも長浜方面につながっている。どちらが近道なのだろうか。昨日はかなり無茶な走りをしているので、今日こそは午後6時頃には到着しようと張り切って走ったのに、このぶんだとまた8時過ぎてしまいそうだ。私は焦る気持ちを息子に悟られないように、地図上で大まかな距離を計算し始めた。息子も地図をのぞき込む。365号線にはひっきりなしに車が行き交っている。スモールランプを点けた車も目立ち始めた。山間の通りは既に夜の装いに変わりつつあった。

 私はどちらの道に進もうかと思案する。と、一人の婦人が通りかかった。買い物帰りだろうか。ビニール袋を提げている。女優の小野みゆきのような、彫りの深いエキゾチックな顔立ちの婦人である。迷っている私達のことを気に留めてでもいるかのように近づいてきた。私は道を尋ねた。長浜までは21号線の方が近いのではないかと教えてくれた。それでも婦人は不十分と思ってか、息子を連れてくると言って小走りに坂を下っていった。しばらくして20代の若者を連れて来た。お母さん似の彫りの深い好青年である。宇賀野キャンプ場をよく知っているらしく、詳しい道順を教えてくれた。

 私達は21号線に入るためにUターンした。交差点付近にさしかかると先ほどの婦人と息子さんが、自宅の庭先からにこやかに手を振りながら、「気をつけて~!」と大きな声で見送ってくれた。真心あふれた親切に接し、疲れた体に力が湧いてくるようだった。

 道を教えてくれ、手まで振って見送ってくれる人たちがいた。ただそれだけで心にしみた。名前と住所を聞いておけば良かったと悔やまれた。旅行記がまとまったら是非これを持ってお礼に行こうと思う。

 カナダからアラスカのアンカレッジまで自転車で60日かけて走破した若き女性サイクリス、一條裕子さんの本に、「一人旅は寂しいときが多いが、その分感激することも人一倍だ。見ず知らずの人からもらったやさしさは、何よりの旅を続けるエネルギーとなった」とある。そのことを実感した日であった。

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2009年8月 3日 (月)

夏休み子供陶芸教室Ⅱ

 ようやく「東海地方梅雨明け」、と昼のニュースで報じていました。青空・焼けるような太陽・盛り上がる雲・「だまれ!」と言いたくなるほどの蝉の鳴き声。ようやくお目見えのようです。夏は夏らしくなくてはいけません。

 「夏休み子供陶芸教室」2回目の今日は、近隣の子供たち5人が来ました。小学4年生の男の子と6年生のお姉さん、小学4年生の女の子と6年生のお姉さん、そして4年生の男の子です。子供たちだけでやってきたのは今回が初めてです。

 いつものことですが、特に子供の場合には初めのコミュニケーションづくりを大切にしています。絵本を読んであげたり、名前や年齢はもとより好きな食べ物や動物などについて質問し答えさせたりしているうちに、子供の緊張感が薄れていきます。笑顔を引き出せれば成功です。

今日も、とてもいい出だしでした。陶芸を開始する前から子供たちの笑顔が見られたからです。このリラックスした気持ちが、楽しい粘土遊びにつながります。5人の小学生は姉妹であったり、姉弟であったり、親しい友達の間柄であったりということもあり、終始ホットなおしゃべりをしながらの作陶でした。

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2009年8月 2日 (日)

夏休み子供陶芸教室

 2組の家族がやってきました。

Sさんご夫妻は小学1年生の長男、3歳の長女、生後2ケ月の次男を連れてきました。

一方のMさん夫妻は5歳の長女、3歳の長男、生後4ケ月の次男をつれています。

両夫妻は偶然にも年齢がとても近い子供を持つ方たちでした。

他にも共通点がありました。両父親の頭髪です。丸刈りなのです。

 

生後間もない幼子を抱えたり、ベビー用の籠に寝かせてあやしたりしながら、両婦人は父親と仲良く昨陶する子供の様子を笑顔で見守っていました。

 “動き回ることが商売”の3歳の子供たちですが、1時間半もの間一所に座って夢中で粘土に触れていました。

とてもホットで家族的な空気が教室一杯に漂った午後でした。

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goodMさん親子

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2009年8月 1日 (土)

工房の賑わい

牧之原市の「相良子ども会」が、夏休みの活動の一環として「体験陶芸」をしに、子供たち15人を連れて来てくれました。親御さんを含め、25人が肩を寄せ合いながら粘土遊びに興じてくれました。

 小学1年生から6年生までの子供たちは、どの子も落ち着きがあり、マナーもしっかりとしていました。

作ったものは全員同型のフリーカップです。それでもカップの胴体部に絵を描いたり、粘土を貼り付けたり、それぞれが個性的な作品になりました。

終了後、お母さんの一人がつぶやいていました。

「子供そっちのけで、夢中になっちゃったぁ。」

付き添いで来た親御さんも、楽しいひと時を過ごしてくれたようです。

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goodクリックすると拡大写真が見られます。

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