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2009年9月

2009年9月30日 (水)

とっておきの秋色 その9

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good撮影地 千満寺(川根本町)  撮影日 2008.11.16

 昨日「テーゲー主義」について書いたところ、“悠風人”さんから次のようなコメントをいただいた。

「スペインに行くと似たような習慣に出会います。“マニャーナ”です。意味は明日。そう、彼らは面倒くさいことに遭遇すると、すべて明日に送ってしまうのです。“マニャーナ、マニャーナ”とわめいてぎりぎりまでがんばるのです。」

 “マニャーナ”。なんともいえないほど柔らかい響きだ。私の頭の引き出しに収めておこう。そして、ときどき引っ張り出して口に出してみよう。特に妻殿からあれやって、これやってと命令されたときにはもってこいの言葉になりそうである。“悠風人”さん、いい言葉をありがとう!

 さて、今日の写真は川根本町にある千満寺の紅葉だ。

毎年11月中下旬になるとこうした見事な紅葉が見られる寺である。撮影した時間が午後3時過ぎ。ちょうど西日が差し込み、錦の葉をいっそう美しく輝かせていた。

静寂な境内の石段に腰を下ろし、しばし仏の心になっていた。

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2009年9月29日 (火)

テーゲー主義

 ちょっと憧れる生き方がある。

そう思えたらきっと気楽に生きられるだろうな、と思う。

ただし他人からはいいかげんな奴、と愛想をつかされるかもしれない。

 

“テーゲー主義”は沖縄文化を代表する考え方だ、と聞いたことがある。

「今日やらなくても明日やればいいさぁ~。なんくるないさぁ~(なんとかなるさ)」

 31年間の教師生活では“なんくるないさぁ~”というわけにはいかなかった。でも、今は「テーゲー主義」的生き方ができそうな気がする。待てよ、今までの人生を振り返ってみれば、「なんくるないさ~」ばかりだったかな。中学や高校時代、定期テスト直前になっても、テスト範囲までの復習ができず、いつも「なんとかなるさ」と心でつぶやいていたっけ。

 つい最近もそうだった。妻の反対にあいながら早期退職したときも、「なんくるないさぁ~」と叫んで次なる世界に踏み出したっけ。

 そう、「なんとかなるもの」なのである。

 

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2009年9月28日 (月)

とっておきの秋色 その8

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秋風に揺れ 淡い陽光を受けて輝く

ひとひら ふたひら しがみつききれずに 舞い落ちる

秋風に揺れ 互いの枝を触れ合わす

ひとひら ふたひら 別れを告げつつ 離れ行く

秋風に揺れ 淡い陽を浴びて輝き誇る

あせらず 惑わず 

ただあるがままの生を

全うしたことを

 

ひとひら ふたひら 舞い落ちて

やがて 土と一体になり

喜びに満ちる 

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撮影日 2003.11.16 山梨県牧丘町にて(2枚の写真とも)

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2009年9月27日 (日)

柔軟な発想をする若者たち

 ハートや花びら,猫形柄先のスプーン、底にも絵を描いたマグカップ、紙紐を巻きつけて模様をつけたカップ・・・。特に斬新なのが、「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる「目玉おやじ」を取っ手代わりにしたマグカップです。あらためて若者の柔軟で大胆なな発想に驚かされました。

 昨日、小糸製作所労働組合が主宰した体験陶芸教室には、若者24人が集まりました。作品が完成するまでおよそ3時間。榛原工場の広い社員食堂の一角にある特別室には、彼らの笑顔と、真剣なまなざしが満ちていました。マグカップの絵柄はどうしよう、取っ手はどんな形にしようか、スプーンの大きさ形は、釉薬の色は・・・?仲間と楽しそうに作りながらも、「他人とはちょっと異なったアイデアで作るぞ」という競争意識と、緊張感も漂っていました。

 陶芸教室終了後は研修会です。小糸労働組合の将来を担う若者たちは、きっと充実した一日だったに違いありません。休日だからといって家に閉じこもらず、一歩前にでること、新しいことに挑戦すること、嫌だなあと思っていることでも思い切ってやってみること、若者にとって新しい世界につながる入口だと思います。

今回の出張陶芸教室では、「ささやき窯 楽友」陶芸教室に通って1年になる有馬さん、木村さんに助手としてお手伝いいただきました。そのお陰で、とてもすばらしい時間を創る事ができました。お二人に感謝します。また、企画してくださった小糸製作所労働組合の役員の方々にも心よりお礼を言いたいと思います。

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2009年9月25日 (金)

マンジュシャゲ

 ホスピスに入っていた一人の婦人が息を引き取った。23日午前3時6分のことである。59才だった。

 胃ガンが見つかったのが今年の6月。手遅れに近かった。余命3ケ月と宣告された。胃の全摘手術をしたものの、ガン細胞をすべて取り除くことはできなかった。すぐに抗ガン剤治療に入ったが、医師からは1年持つか分からないと言われていた。体力が極端に落ちた状態での抗ガン剤治療は彼女を地獄の苦しみに追いやった。彼女は夫に告げた。延命治療よりホスピスで静かに死を迎える準備をしたい、と。

 彼女は様々な準備を開始した。自分の葬儀のこと、嫁に告げるべきこと、3人の子供への遺言・・・、さらには夫に切なる願いを告げた。

 「思い出の場所に私の灰をまいてほしい!」

 

葬儀では彼女の好きだった曲が繰り返し流された。

「あざみのうた」「レットイットビー」「芭蕉布」「秋桜」「夏の思い出」「いい日旅立ち」など8曲を、葬儀の時に流してほしいのだと生前に選曲していた。曲の順番も妻が決めていた。夫はあちこちかけずり回ってそれらのCDを集め、パソコンに取り込んで式場に持ち込んだのだった。

 彼女の遺影は、ガンが見つかる2月前に夫と桜を見に行ったときの写真が使われた。これも彼女が指定していた。

 

医師の宣告通り、ガンに冒された体は3ケ月後に天国に召されてしまった。

 

 2月ほど前に、私は散骨用の小さな骨壺制作の依頼を受けた。が、私はお断りした。辛かったからだ。作ることで死期を早めるのでは、と憂慮したのだ。娘の嫁ぎ先の義母が、想像を絶する辛い闘いをしているのだ。医師から余命幾ばくもないと宣告されたとは言え、そうたやすくガンなんかに命を奪われてはならないのだ。骨壺に入ることなんてあり得ないのだ。そう私は思うと、とても制作依頼に応えるわけにはいかなかった。

 23日真夜中に娘から義母が息を引き取った旨の報が入った。すぐに駆けつける準備をし、兵庫県まで車を走らせた。

 見舞いを拒否し続けた彼女にようやく会うことが叶った。いくら話しかけても返答はなかった。ガンと壮絶な闘いをしてきたことが、彼女のやせ細った亡骸が示していた。

 3月ぶりに彼女は自宅に戻ることが出来た。魂だけになった彼女はようやく安堵の表情をして畳みに座っていた。親戚縁者のおしゃべりに、静かな笑みを浮かべながら耳を傾けていた。

 夫君がみんなに言った。

「しばらくしたら小旅行に出るよ。妻に言われた思い出の場所を訪ねて灰をまかなけりゃあならんのでね。」

 妻に先立たれた夫君は、妻との思い出の地を歩きながら何を思い、どんな決意をしてくるのだろうか。どうか後ろだけを見ないでほしい。前へ一歩前進する決意をしてきてほしい。私は彼の話しを聞きながら、そう願わずにはいられなかった。

 彼女と夫君に別れを告げ、帰路についた。田んぼの畦のあちこちに咲くたくさんの彼岸花も私達を見送ってくれた。こんなに群生している彼岸花を見たのは初めてだった。車から降りて写真を撮った。

マンジュシャゲとかシビト花とか呼ばれる真っ赤な花の一輪一輪を見ていると、彼女の魂を慰め、黄泉(よみ)の世界へ間違いなく導いてくれる道先案内人ではないかと思えてきた。

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2009年9月22日 (火)

とっておきの秋色 その7

 まずは次なる写真をご覧あれ。

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日向山(山梨県小淵沢町)、標高1660メートルの山頂から少し下った所で撮影した写真である。

この山は初心者でも気軽に登れ、やがて山歩きの魅力に取り憑かれるほどの入門の山だという。

2003年9月上旬、私は妻とこの山に登った。快晴である。山頂に立った時には雲一つ無かった。山頂から少し下った平坦な場所に腰を下ろし昼食を摂っていると、V字型の大きな雲が現れた。遠方には八ヶ岳が見えた。

見とれていると、私達の近くで休憩していた親子が、目の前の枯れ草に歩み寄って腰を下ろした。私はカメラを取りだした。ピントを親子に合わせシャッターを押した。

 なんの説明もいらない一枚である。

この写真をご覧になったみなさんご自身が自由に受けとめていただきたい。

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2009年9月21日 (月)

変わり身の速さ

 きょうから3連休とした。まだ少し早いかも知れないが「とっておきの秋色」を見に、南アルプスに入るためである。

 早朝4時に家を出た。まだ真っ暗である。星が見えない。天気予報通り曇天か。秋空に映える紅葉は見られないかも知れない。空が白んでくると、どんよりとした雲が深くたれているのが見えだした。私は久しぶりの登山を前に昂揚していたが、一気に萎えてしまった。千頭近くまで来るとポツポツと落ちてきた。迷ったが今回の登山は中止だ。引き返す。運転しながら次なる計画を思いつく。

 せっかくの休みだ。動こう。そうだ!岡山に行こう。備前焼を見に行ってこよう。決めたのが午前5時である。このまま高速道に入って・・・・、と考えていると、カーラジオから聞こえてきた。「高速道路、各所で大きな渋滞。・・・20キロ、・・・30キロの・・・」

“休祝日千円”は、高速道を使っての遠乗りを容易にしたものの、ゴールデンウィーク並の渋滞を巻き起こした。無料化されたらいったいどうなるのだろう・・・、と一瞬思ったが、すぐさま決断した。金はかかるが新幹線を使おう。

というわけで岡山まで日帰りで行ってきた。備前焼の里、伊部(いんべ)は連休であるにもかかわらず観光客はまばらだ。ずらりと立ち並ぶ陶器の店はどこも閑散としていた。陶器産業の衰退は目を覆いたくなるほどだ。「備前焼伝統産業会館」「陶芸美術館」などで見事な備前焼の数々を見て、作陶意欲をかき立てられたことは嬉しかったが、元気がない陶芸の里を目の当たりにして寂しさを感じて帰ってきた。

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2009年9月20日 (日)

とっておきの秋色 その6

 「紅葉狩(もみじがり)」という言葉を初めて知ったのはいつ頃だっただろうか。

「せっかく美しく紅葉したのに、その枝を切り取ってくるなんてよくないよ!」

なんて思っていたころだから、おそらく小学生のころかもしれない。

“山野に紅葉をたずねて観賞すること”が真意なのだが、「紅葉狩」なる言葉は人間の傲慢さを感じてしまって、私はそれを口にする気になれないでいる。

 

 足を止めて見事な紅葉を見上げる人々。美しく染まった木々の前で記念写真を撮る人たち。美しいモノに心癒され、一時その中に包まれる喜びに浸るのは万人共通である。

女性登山家の田部井淳子さんが言っていた。

「私、美しいモノを見ると嬉しくって涙が出るのよ。」

 さて、にんげんに見られる側の、美しい彩りを満載した樹々たちは人間をどんな思いで見下ろしているのだろうか。

 養老公園に紅葉を見に行ったとき出会った大樹に聞いてみた。

good撮影場所 養老公園(岐阜県) 2004.11.27

 ※クリックすると拡大写真が見られます。

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「わしゃあうれしいのう。今にも倒れそうなほどに腰が曲がっても、1年に一度きれいなおべべを着せてもらえるし、それを見に人間たちがここにやってきてわしの下で足を止めてくれるんじゃ。わぁ、きれい!なんぞとわしをほめてくれるよ。うれしいのう。どうじゃ、年を取っても赤や黄のおべべ似合うじゃろう。」

そう応えてくれた老紅葉はにっこりとほほえみ、楽しそうに歩を進めて行くにんげんを眺めていた。

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2009年9月19日 (土)

とっておきの秋色 その5

 紅葉前線はまずは標高が高いところから始まる。早めに紅葉を見たければ、高い山へ登ればいいということになる。麓や平坦地では11月中旬以降にならないときれいな秋色を見ることがなかなかできない。だから、せっかちな私は山へ行く。

 私がよく「紅葉さん」とデートする場所は、南アルプス南部にある茶臼岳に至る登山道である。ここ数年間は一休みしているが、それまでは毎年のように9月下旬から10月にかけて登っていた。山頂までおよそ7時間。途上幾度となく厳しい坂が続く。この時期は山小屋の営業が終わっているので、食料や冬装備などで20数㎏と重たくなったザックを背負うことになる。もう歩くのいやだ~!と思ったとき、私を慰め勇気づけてくれるのが、里より一足早く始まった錦の紅葉である。

 でも今回ご紹介する「とっておきの秋色」は、錦の紅葉ではない。山頂ちかくの草紅葉(くさもみじ)とダケカンバ(岳樺)である。私は、強風と雪の重さに苦悶しながらも凛と立っているダケカンバと、それをやさしく包み込んでいる褐色の草に心を寄せた。

goodクリックすると拡大写真が見られます。

 苦悶するダケカンバ。両手のような枝が倒木を防いでいる。

 後方は上河内岳(2803m) 撮影日 2001.10.14

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 営業を終えた茶臼小屋も草紅葉に包まれていた。

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 標高2300メートル当りで拾った紅葉した葉

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2009年9月18日 (金)

とっておきの秋色 その4

note夕焼け小焼けの赤とんぼ・・・

 「夕焼け」は夏の季語である。「秋の夕焼け」と聞くと、どこかセンチメンタルな風情の漂いを感じる。夕焼けで真っ赤に染まる原っぱに群れ飛ぶ赤とんぼが登場するとなるとなおさらである。

 山頭火の句を思い出す。

             いつも一人で

                   赤とんぼ

仲間からはぐれたのか、一人(1匹)でいるのが好きなのか、赤とんぼが一匹、山野をさすらう俳人、山頭火に近寄ってきた。彼は思う。「なんと俺と似たやつなのだろうか」と。一人になろうとしてなりきれない山頭火は、己と赤とんぼを重ねたのである。

「秋の夕焼け」を見るたびに思い起こす俳句であった。

 非常に印象深く脳裏に残っている夕焼けがある。6年前の10月30日、金峰山(きんぷさん)の山小屋から見た夕焼けだ。下山したその夜のニュースで知ったのだが、この日は全国的にすばらしい夕焼けが見られたと言う。山小屋の宿泊客のほとんどが外に出てカメラを構えていた。みな言葉を失っていた。

good写真をクリックすると拡大写真が見られます。

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次の夕焼けも見事だった。これは5年前の10月16日、八ヶ岳オーレン小屋から撮したものである。天狗岳に登り、硫黄岳をめぐって山小屋に到着した直後だった。部屋に入り、すぐさまカメラを取りだして撮った。硫黄岳上空にある雲に夕陽が当たり、燃え上がる炎のように見えた。

そしてもう一枚は、ちょっと前に歩いてきた硫黄岳から西方に延びる尾根上(赤松の頭~峰の松目 標高2600メートルほど)に広がる夕焼けである。この写真は工房に次の言葉を挿入して掲げてある大好きな1枚だ。

「山中でいろんな出会いがありました。 

 わたしは夕陽を見ながら全てに感謝しました。(「妻の言った言葉」から)」

夕焼けを眺め続けた。疲れがいっぺんに吹き飛んだ気がした。

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2009年9月17日 (木)

とっておきの秋色 その3

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北アルプス、涸沢の秋色である。

いきなりペアルックとは、「ごちそうさま!」とお思いの方もいるだろう。私と妻が着ている服は、秋色にマッチしていていいよ、と感じてくださった方もいるかもしれない。

 上高地からひたすら歩き、標高2400メートルあたりになると見事な紅葉が現れる。

 涸沢は穂高登山の中心地である。3000メートルを超す穂高連峰の東面に位置し、氷河によって削り取られてできた谷合だ。夏でも残雪が多く残っている。

ここの紅葉は日本一と言われる。私達もそれを拝みに行った。8年前のことである。殊更紅葉の時期は多くの登山者が訪れるため、山小屋への宿泊が難しい。私達はテントと食料を持ち込んだ。その時は頂上へのアタックをしないで、テントに泊まりながら、錦織りなす見事な神業をひたすら眺めていた。人間もその中にとけ込むのではないかとさえ思われた。

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paper写真をクリックすると拡大写真が見られます。

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2009年9月16日 (水)

とっておきの秋色 その2

 落葉松(からまつ)の紅葉は見事である。特に昼夜の寒暖差が大きい地域ほど鮮やかな黄色に染まる。針葉樹なのに落葉する珍しい樹である。

 6年前、私は妻としきりに秩父山塊に登っていた。瑞牆山(みずがきやま)、金峰山、国師岳、甲武信岳の縦走は長いが歩き甲斐があった。金峰山への登山口を目指し、山梨県塩山市から北西に延びる林道に入り、大分標高をかせいだあたりに来ると落葉松の群落がある。今回の写真の主役は落葉松である。(撮影日 2003.10.26)

good写真をクリックすると拡大写真が見られます。

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私は北原白秋の詩『落葉松』を思い起こしていた。

「落葉松の林を過ぎて  落葉松をしみじみと見き  落葉松は寂しかりけり・・・」

私は即座に

「落葉松はよろこびに満ちて」

と書き換えた。

白秋は怒るかも知れない。

彼は、落葉松の寂しさ、その寂しさに共感し、自らの寂しさを重ね、自然と一体化する…とかいったことを詠んだのだろう。私はそれを知りながらも、その時の私の心持ちは寂しさとはほど遠かった。山歩きした後の満足感と清涼感があった。

この「落葉松」について北原白秋自身の「注」に、

「落葉松の幽かなる、その風のこまかにさびしくものあわれなる、ただ心より心へと伝ふべし。」とある。

読者よ、この詩は声を出して歌ってはいけない、というのだ。

こころの中でシミジミかみしめるのがいいいと。

あまのじゃくな私は落葉松林に向って大きな声で詩の一節を詠み上げた。

この林からわずかに目を移すと見事な富士山が見えた。秋色の向こうに見える富士の峰は青くかすんでいた。

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林道を抜けることがなかなか出来なかった。「秋色」が運転を止めさせるからだ。「私も、おれもゆっくり見ていってくれよ!」と呼び止めるのだ。だからその度に車から降りてカメラを構えることになる。次の写真も林道脇で撮ったものである。

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2009年9月15日 (火)

とっておきの秋色 その1

 残暑が遠のきつつある。入れ替わるように秋色が少しずつ広がり始めた。

コオロギ、ウマオイ、スズムシなどの秋限定の音楽家は、すでに毎夜演奏会を開いている。我が家の芝生上には枯葉も遊び始めた。天空にはすじ雲やいわし雲の原型が現れるようになった。秋間近である。

 今日からしばらくシリーズで、私が撮りためた写真の中から「私が好きな秋色」をご紹介していきたい。

その1は、長野県下伊那郡上村(合併後は飯田市)の紅葉である。

上村は古くから「遠山郷」と呼ばれ、南アルプスと伊那山地に囲まれた山間の村だった。その中でも「下栗の里」は「日本のチロル」とも言われ、標高800メートル以上、最大斜度38度の山肌に民家や耕地が点在する地区である。上村のパンフレットには「天上へ天上へと昇りつめ、神の恵みを受け続ける里」とある。そば・お茶・芋(二度いも)等が栽培されているが、急斜面での作業は片足を踏ん張りながらの厳しいものだそうだ。

 1枚目の紅葉写真はこうした集落を背景にして撮ったものである。地元の方に教えてもらい、この集落が一望できるポイントまで足を滑らせながら歩いたことを思い出す。のどかな風景の一部を切り取った写真だが、私はファインダーを覗きながら住人の次のような話が頭をよぎっていた。

 「いい所ですねえ。厳しいでしょうけれど住めば都でしょうね?」と私が問うと、

 「そうだよ」とは返ってこなかった。

 「大変だよう!」

 のどかさの中に、里の住人の苦労が漂っていた。

  

 2枚目の写真は、遠山川沿いに敷設されていた林業鉄道の軌道跡をたどる「エコツーリズム」に参加したときに撮した紅葉である。かつて林業鉄道で働いていたという古老の道案内で、知る人ぞ知る軌道をゴミ拾いをしながら歩き、紅葉を愛でた。時に足を止めては古老が話した。林業最盛期には、南アルプス深部で切り出した木材をこの鉄道で運び続けたという。大変苦労の多い仕事だったそうだ。古老は、最前線で日本の高度成長期を支えてきた自負を感じているように見えた。

 峡谷沿いの紅葉は見事だった。林鉄で働いていた屈強な男達もきっとこの紅葉を見ては、疲れをいやしたに違いない。

good紅葉の向こうには急斜面に点在する集落が見える 

 ※写真をクリックすると拡大写真が見られます。

  ※撮影日 2006.11.11

Simoguri

Rinntetu

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2009年9月14日 (月)

奇なるかな双生児

 私は双生児である。二卵性双生児なのでうり二つではないが、私とそっくりに近い人物がこの世にいる。片割れは兄である。

 双子は奇なる事がよく起こる。子供の頃のことだが、片方が風邪にかかるとしばらくして他方もそうなったものだ。鮮明に覚えている怪我がある。兄が鶏小屋のコンクリの角でつまずき、左目の上部に怪我をした。と間もなく私は右目尻を転んで切った。

 今日、兄から電話があった。

「連帯保証人になってくれないか。」

元気のない声だった。

「検査で前立腺ガンを疑われたんだ。検査入院で保証人が必要なのだ。」

私は愕然とした。双子はどこかでつながっている。奇なることが起きやすい。そんな体験を持つ私だから、とってもナーバスになった一日だった。

 

 そんな憂鬱な気持ちを吹き飛ばすような手紙が届いた。あのモコちゃんからだ。

『みんな のってるかい?!』なるパーソナル新聞30号が同封されていた。それを読んで心癒された。モコちゃん、本当にいいタイミングで送ってくれたね。ありがとう!

goodモコちゃん新聞 30号

Mokosin

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2009年9月13日 (日)

まだ動物だから

 隣接する工房から居間に戻るのは決まって午後11時を過ぎてしまう。「残業手当」もなしによく働く私である。そういうわけでブログ書きは12時近くになる。パソコンに電源を入れるも、立ち上がりが極めて遅いおんぼろパソコン君の前で、うつらうつらする私。昨日も一昨日もパソコン君のうなり声を子守唄代わりにしていつの間にやら寝入ってしまった。

 久しぶりに娘が子供を連れてやってきた。小学1年と保育園年中の孫は天下一品のわんぱく小僧である。長男はジャニーズ系の端正な顔つきをしているが暴れん坊である。下の子は丸坊主で、麦藁帽子とタモが良く似合う“まるこめ味噌”風小僧だ。弟は常に「にーに、にーに~ぃ」と言っては兄について回るが、よると触るとけんかになる。激しい。

娘が帰ってくる度に言う。

「おとうさん、まだ人間になりきれないからごめんね。もう少し待てば人間になるから・・・」

兄の方は小学生になってからだいぶ人間らしくなってきたが、弟は相変わらず゛動物”である。

 2人のわんぱく孫たちは、外で思い切り遊ぶ。私の家に来ると必ずやるのが、ダンゴムシとトカゲ探しだ。箱を片手にダンゴムシを集める。花壇周囲のレンガや石はことごとくひっくり返される。トカゲもかわいそうなものだ。必死になって逃げ回るが、「動物」の孫に睨まれたらとことん追い掛け回されて彼らの掌中でもがくことになる。放免されるときにはトカゲ君はフラフラになっている。

 思い切り遊べ、いっぱい兄弟げんかせよ、そして叫び泣け!

この孫が帰ってくるときは大型台風襲来並になるので警戒が必要だが、子供の中の子供って感じがしていいなと思う。親にとっては大変な子育ての時期かもしれない。厳しさと愛情を適切に織り交ぜながら指導せよ、と私は娘に言ったりはしない。「じいじ」は黙ってやさしく子育て中の娘を見守るだけである。

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2009年9月10日 (木)

アホな私

 ヒメシャラ、トキワマンサク、ヤマボウシ、コブシ、馬酔木、マユミ、赤エゾマツ、ヒマラヤスギ、ヒバ、キンモクセイ、サンシュユ、ナンテン、柿・・・。我が家の木々達である。全て私が植え育てたものだ。えっ、待てよ。「育てた」jのではなく「育った」ものだ。植物の持つ性質とか、剪定の仕方とか病気のことなど、まったくと言っていいほど知らない。

「幹や根元から枝が出てくるときは、木そのものが弱っている可能性がある」のだ、とつい先日の新聞記事で読んだときには、己の無知さ加減を恥じたものだ。

 トキワマンサクの根元から何本もの枝が出て、今では1メートルほどにもなったのだが、私はそれを見てマンサクの木の生命力の強さをを喜んでいたのだ。そうではなかったのである。

 いい話を読んだ。これも新聞記事である。

「植物を活性化させる音は、明け方の鳥のコーラスではないかと言われている。だとしたら、植物は虫が嫌いなわけではなく、自分にエネルギーを与えてくれる鳥たちを呼ぶために、芋虫や毛虫を飼っているのかもしれない。」

 毛虫退治に私は春先になると殺虫剤を噴霧する。蕾を枝いっぱいにつけたコブシに群がるヒヨドリめがけて小石を投げて追い払う。そんなことをして木を守ろうとしていた私だったが、逆に木々の活性化の元を絶とうとしていたのだ。やれやれ、なんとアホな私だったのだろうか。

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2009年9月 9日 (水)

母と息子

 「ささやき窯 楽友」には幾組かの親子と夫婦が来ています。母親と息子ペアが2組、母親と娘ペアが2組、夫婦が2組。同じ時間を共有しあい、粘土遊びに興じる親子や夫婦の姿はほほえましいなと、いつも感じています。私の教室が更なる円満な親子、夫婦関係を築く一助になっているに違いないと自画自賛しています。

 小さな子供と母親もいいが、20歳を過ぎた息子と母親の姿はもっといい。

きょう、その姿が当工房で見られました。24歳になる沖縄の大学に通う息子さんと母親のもこちゃんです。もこちゃんは前回作った器の削りと高台付けをしながら、時々左隣の広明さんが作るカップを見ては、「広明、いいじゃん!」とほめる。いつものもこちゃんより心うきうきといった様子でした。きりりとした目鼻立ちの広明さんは、とてもさわやかな好青年でした。おだやかでさりげない母親とのやりとりが印象的でした。

「20歳を過ぎた息子と母親」の望ましい良き姿を、私は目を細めて見ていました。

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2009年9月 8日 (火)

たゆたう

 かなたこなたにゆらゆらと動いて定まらないことを「たゆたう」というが、私の好きな言葉の一つである。

 「ゆらゆらしていて定まらない」というのが人間らしくていい。人間の心は時として「たゆたう」たり、迷ったりする。若い頃は特にそうだ。何か事を興そうと決意してもゆらめき迷う。迷いながらも船出する。大海の荒波に出遭ってまた「たゆたう」。人生はこの繰り返しだ。

 秋の風情を色濃く感じさせるススキこそ「たゆたう」という言葉がピッタリだ。風の吹くままに身を委ね「たゆたう」姿に、私はほれぼれとする。

 ススキの群舞がもうじきあちこちで見られるようになる。

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2009年9月 7日 (月)

妻殿は良きマネージャーなり

 出張陶芸教室の予約が時々入ります。今後の予定は、今月26日に榛原の小糸製作所で40人ほどの方に、来月13日は勝間田小学校の6年生の子供達と親御さん合わせて50人ほどの方に陶芸を楽しんでもらうことになっています。

 今日は、勝間田小学校で打合会がありました。「親子活動の一環」として陶芸を企画したのだそうです。小学校生活最後の思い出づくりのお手伝いが出来ること嬉しく思いました。

子供達の真剣な眼差しと笑顔を見るのが今から楽しみです。

 実を言うと、こうした仕事の大半は妻が持ってきてくれます。私の良きマネージャーである妻殿を敬うような言葉を、1度ぐらいは言わなければ罰が当たりそうです。

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2009年9月 6日 (日)

トイレットペーパー 第2弾

3日にトイレットペーパーの端を折り曲げることについて書いた。

これを読んだSさんからメールをいただいた。

「私はトイレットペーパーの端を折るのは嫌いです。理由はないけど嫌いです」とある。

以前聞いた話を思い出し、私に「お気をつけあそばせ」と忠告してくれたのだった。

その話とは、

『奥方が留守の間に自宅に不倫相手を呼んだのですね、その男は。 奥様が帰られ
てトイレに入って、事がバレてしまった。』

というのである。

男の家ではトイレットペーパーの端を折る習慣がなかったのだろう。ところが奥さんがトイレに入ると折ってあった。不倫相手の女性が端を折ったのだ。

 Sさんの締めくくりの言葉。

「習慣の仕業か?故意か?女は怖い?先生もお気をつけ下さいね。(笑)」

 そっかぁ、今ペーパーの端をいかにきれいに折るかなんてことをトイレ内でやってはいるが、Sさんが言うようなことにもつながるんだなあ。

私も十分気をつけよう。おっと、みなさん誤解しないで!私不倫相手いませんから。

 

 

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2009年9月 5日 (土)

親というもの

 昼間の陶芸教室を終えてから「大石啓クおしゃべりクラシックコンサート」に行ってきた。

大石さんは吉田町出身のピアニストである。

 ピアノが誕生してから300年を迎える今年にちなんで、その歴史をわかりやすく紐解きながらの演奏だった。

 驚き感心させられたことがある。アンコール曲を含め14曲全てを暗譜で演奏したことだ。

私は前夜の寝不足がたたって、前半は居眠りのしっぱなしだったが、緩急ある演奏に次第に惹き付けられてしまった。超人的に動く指から紡ぎ出される音色はやさしく強く、美しかった。

 演奏会後、ロビーで大石さんのお母さんとちょっと話を交わした。

「心臓が爆発しそうでした。」

 修養と経験を積み重ね、大勢の聴衆の前でたった一人の演奏会を開いたわが子に全幅の信頼を寄せながらも、内心平常心ではいられなかったのだ。これが親と言うものなのだ。

 近くで演奏会に来てくれたお客さんに父親が挨拶をしていた。

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2009年9月 4日 (金)

幸せな時間

 「私不器用だから・・・」と作る手を時折休める奥さん、心配顔で妻の手元をちらりと見やる夫君。そんな微笑ましいお二人の前には飯茶碗の削りをしている会員の久子さん。

 ご夫婦は久子さんの学生時代の級友とその奥さんである。新潟市からいらっしゃった方達だ。いつも多忙な久子さんだが、今日はご夫妻と旧交を温める時間を共にするためにお休みをとったのだろう。あちこちとご夫妻を案内された中に「ささやき窯 楽友」も候補に入れ、ご夫妻を連れてきてくださったのだった。

 竹野ご夫妻はとてもホットな雰囲気をもった方だ。初対面なのに知己の友のような感じがした。

 マグカップとスプーンが出来上がる頃、傾き駆けた初秋の西日が窓を薄赤く染めていた。私も妻も、「ささやき窯 楽友」の工房も、そんな方達を迎えることができて幸せな気分になった。

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2009年9月 3日 (木)

トイレットパーパー

 ずっと気に掛かっていたことがある。

いつだったか、教室に通う生徒さんからこんな話を伺った。

「孫がとても偉いんですよ。孫の後にトイレに入ると、いつもトイレットペーパーの端が三角にきちんと折り曲げてあるの。ああ、私もやらなきゃあって。」

 簡単なようで、こういうこともなかなか実践できないのが常である。振り返るに、私は今まで何回やったことがあるのだろう。思い出せないほど少ない。

 ペーパーの質によっては、端をつまむのに一苦労することがある。折り曲げてあれば楽につまめるのにやらない。後からトイレを使う人のことを思いやる心がない。

 生徒さんの話を聞いて、よし、私も即やろう!とはしなかった。でもずっと気になっていた。

 10日ほど前から私も実践し始めた。短時間できれいな三角形に折り曲げるにはどんな工夫が必要か、三角の頭がどのくらい出ていればつまみやすいか、トイレに入る度に「研究」している。

 このことを妻や里帰りしていた娘たちに話すとワハハと笑い飛ばされた。

「こら、お前達もやれ!」と叫んでみたが、誰一人やってくれない。

そうなのだ。面倒なのである。

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2009年9月 2日 (水)

冬支度の知らせ

 今年は例年より早く我が家の庭に交響楽団が訪れた。

開演時間は決まって午後6時半。その時間になる前に前座があるが、真打が登場するのはやはりこの時間からだ。さまざまな楽器で演奏するので判別は定かでない。一番大きな音を出しているのは「コオロギ」だ。毎晩午後7時のニュースを見ているが、テレビの音量を大きくしないと「コオロギ」に負けてしまうほどである。

 コオロギの鳴き声を古(いにしえ)人はこう表現していた。

“肩させ、裾(すそ)させ、寒さが来るぞ”

 これは、冬j支度を早くするようにと勧めているのだそうだ。

 夜を徹しての演奏会はまだまだ続く。

私の大好きな季節である。

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2009年9月 1日 (火)

脱動力の旅あれこれ 最終回

 坂にさしかかる度にゆううつな気持ちになるが、それはつかの間のこと。意を決してペダルを踏み始めれば次第にリズムが出てくる。そして峠を上りきってしまう。

 坂に挑むときの心構えが二つある。

一つは絶対に自転車から降りない、と自分に強く言い聞かせておくこと

二つ目は前方をあまり見るな、足下を見よ、ということだ。

特に長い上り坂ではこれが生かされる。峠がまだかまだかと前ばかりを見ていると、ペダルをこぐリズムがこわれ、精神的に滅入ってしまう。それよりも前輪の先あたりの路面をじっと見つめていると、平らな道に見えてくる。そして平坦な道だと暗示を掛けながら脚に力を込めるのだ。そのうち峠に到達するから不思議である。

 この二つの心構えは人生を歩むときのそれにも通じる、と坂を苦しみながら上る度に思うのだ。あまり先を見すぎてはならぬ。青春期ならいざ知らず、40代を過ぎたらこの心構えが生きる指針になる。年老いていく我が身の将来の姿をあまり考えるな。我が子が一人前になるだろうか、立派に成長するだろうかなんてこともそうだ。先のことは考えなくていいのだ。それよりも今を見つめよう、今を楽しもう、体が動くうちに・・・、などとばかなことを反芻(はんすう)しながらペダルを踏んでいると、つらい峠越えも苦でなくなってくる。

 車に頼らなくても、動力に依存しなくても我が身さえ健康であれば、この脚を使ってどこにでも行ける。行けることが分かった。

 「出会った人々」は他にも大勢いる。サークルKで、ローソンで、ガゾリンスタンドで、あちこちの街角で印象深い人たちに出会った。水をもらうために立ち寄ったコンビニ、ガソリンスタンド、道を聞くために声をかけた人たちだ。

 とりわけ旅行記に記した人たちは殊更印象深かった。なぜなら彼らのやさしさが、「苦しい自転車旅行を続ける何よりのエネルギーになった」からだ。

 (自宅から石川県羽咋市までの)走行距離約500キロ、一日平均走行距離100キロ、総走行時間は55時間、一日平均走行時間11時間である。目的地の羽咋市までは5日かかった。帰りは自転車を宅急便で送り返し、私達は列車で5時間半かけて帰宅した。居眠りしている内に到着である。行きは10倍の時間と労力を費やしたのに。しかし、この5日間の感動と満足感は帰りの10倍どころか、計り知れないほどのものだった。

 あれから15年が過ぎた。小学3年生ころから私に連れ回された息子は、あれ以来長いこと自転車で遠乗りすることはなかった。親父の気まぐれに突き合わされたという思いがあったのだろうと思う。仕方なく父親に従っただけだったのかもしれない。

 ところが、大学3年が終わったころ、突然私に相談があった。

「オーストラリアを自転車で走りたい。休学してもいいか。」

私は即座に賛成した。嬉しかった。彼は自転車を嫌っていなかったどころか、更なる冒険旅行をしたいというのだ。かつて私と自転車で走ったときの感動と満足感が息子の体のどこかに潜んでいたのである。

 彼は真夏のオーストラリアに旅だった。私が乗っていた自転車を担いで。

 オーストラリアの大地を走ってきた自転車は今はゆっくりと休んでいる。彼も老体だが、そろそろ運動をさせようと思う。紅葉がきれいな時期になったら千頭、寸又峡まで彼と自転車小旅行をするつもりである。

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