マンジュシャゲ
ホスピスに入っていた一人の婦人が息を引き取った。23日午前3時6分のことである。59才だった。
胃ガンが見つかったのが今年の6月。手遅れに近かった。余命3ケ月と宣告された。胃の全摘手術をしたものの、ガン細胞をすべて取り除くことはできなかった。すぐに抗ガン剤治療に入ったが、医師からは1年持つか分からないと言われていた。体力が極端に落ちた状態での抗ガン剤治療は彼女を地獄の苦しみに追いやった。彼女は夫に告げた。延命治療よりホスピスで静かに死を迎える準備をしたい、と。
彼女は様々な準備を開始した。自分の葬儀のこと、嫁に告げるべきこと、3人の子供への遺言・・・、さらには夫に切なる願いを告げた。
「思い出の場所に私の灰をまいてほしい!」
葬儀では彼女の好きだった曲が繰り返し流された。
「あざみのうた」「レットイットビー」「芭蕉布」「秋桜」「夏の思い出」「いい日旅立ち」など8曲を、葬儀の時に流してほしいのだと生前に選曲していた。曲の順番も妻が決めていた。夫はあちこちかけずり回ってそれらのCDを集め、パソコンに取り込んで式場に持ち込んだのだった。
彼女の遺影は、ガンが見つかる2月前に夫と桜を見に行ったときの写真が使われた。これも彼女が指定していた。
医師の宣告通り、ガンに冒された体は3ケ月後に天国に召されてしまった。
2月ほど前に、私は散骨用の小さな骨壺制作の依頼を受けた。が、私はお断りした。辛かったからだ。作ることで死期を早めるのでは、と憂慮したのだ。娘の嫁ぎ先の義母が、想像を絶する辛い闘いをしているのだ。医師から余命幾ばくもないと宣告されたとは言え、そうたやすくガンなんかに命を奪われてはならないのだ。骨壺に入ることなんてあり得ないのだ。そう私は思うと、とても制作依頼に応えるわけにはいかなかった。
23日真夜中に娘から義母が息を引き取った旨の報が入った。すぐに駆けつける準備をし、兵庫県まで車を走らせた。
見舞いを拒否し続けた彼女にようやく会うことが叶った。いくら話しかけても返答はなかった。ガンと壮絶な闘いをしてきたことが、彼女のやせ細った亡骸が示していた。
3月ぶりに彼女は自宅に戻ることが出来た。魂だけになった彼女はようやく安堵の表情をして畳みに座っていた。親戚縁者のおしゃべりに、静かな笑みを浮かべながら耳を傾けていた。
夫君がみんなに言った。
「しばらくしたら小旅行に出るよ。妻に言われた思い出の場所を訪ねて灰をまかなけりゃあならんのでね。」
妻に先立たれた夫君は、妻との思い出の地を歩きながら何を思い、どんな決意をしてくるのだろうか。どうか後ろだけを見ないでほしい。前へ一歩前進する決意をしてきてほしい。私は彼の話しを聞きながら、そう願わずにはいられなかった。
彼女と夫君に別れを告げ、帰路についた。田んぼの畦のあちこちに咲くたくさんの彼岸花も私達を見送ってくれた。こんなに群生している彼岸花を見たのは初めてだった。車から降りて写真を撮った。
マンジュシャゲとかシビト花とか呼ばれる真っ赤な花の一輪一輪を見ていると、彼女の魂を慰め、黄泉(よみ)の世界へ間違いなく導いてくれる道先案内人ではないかと思えてきた。
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コメント
長旅お疲れ様でした。
稲刈りで体中が痛いです・・・
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投稿: K | 2009年9月26日 (土) 21時18分