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2009年11月

2009年11月26日 (木)

キラリ若者 その1

  キラリと光っている若者との出会いが数多くあった。その中で私の家に泊まりに来た若者について何回かに分けてご紹介したい。

 職場の飲み会があった日だった。午後8時半頃金谷駅に降り立ち、改札口から出た。瞬間、一人の若者が目に飛び込んできた。閑散とした待合室に一人、両足を大きく広げ、頭を低く垂れて、いかにもくたびれたといった様子で座っている。脇には前後輪に荷物をくくり付けた自転車が置いてある。すぐに自転車旅行をしている若者と知れた。私は一旦外に出たが、彼のことが気に掛かってきびすを返した。

 声をかける。細面のひ弱そうな若者だ。か細い声が返ってきた。高校1年生だという。友達3人と東京から大阪まで自転車旅行をしているが、2日目の今日、箱根峠を過ぎたところで他の2人とはぐれてしまった。今日は大井川の橋の下で野営する予定だったのでそこまできたが、友達と連絡が取れないままでいる。まだ携帯電話が普及していない15年前のことである。はぐれたときは近くの駅で合流する約束になっているというので、金谷駅で友達を待っているところだった。

随分焦燥しきっている表情だったので、私は彼に言った。

「友達と合流することができたら、おじさんの所に電話しなさい。よかったら私の家に泊まりにおいで。」

 私はそう言ってタクシーで帰宅した。ほどなく彼から電話がかかってきた。友達と合流できたという。そして泊めて欲しいと。私は妻に運転させ、再び金谷駅に向った。駅にいた高校生A君だけ車に乗せ、余力がありそうな他の2人は牧之原の坂を自力で上らせ、私の家に案内した。

 東京学芸大学附属高校の1年生、自転車競技部の生徒だった。春休みを利用して長距離ツーリングをしていたのだった。実はA君は体力があまりないだけでなく、やることがとても鈍くさい、いつもひとりぼっちでいるような生徒だった。そんなA君を、東京・大阪間500㎞にわたる過酷なツーリングに誘ったのが他の2人の仲間だった。A君に自信をつけてもらいたい、元気な明るい高校生になってほしい、そんな思いがあった。遅い夕ご飯を彼らに食べさせた。食べながら、他の2人がぼそぼそとA君を気遣いながら話してくれた。

 ※続きは その2に

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2009年11月25日 (水)

注文品を心込めて作る

昨日から注文されている器類の制作に入った。

ビアカップ2個は、近隣の女性から。彼女のご主人はつい先ごろ癌のため他界した。ビールが好きだった夫君と一緒に仏壇の前で飲むのだといって注文してくれたのである。竹筒風ビアカップという指定である。

マグカップ1個を注文してくれた女性もこだわっている。かならずカップ側面に猫の絵を描いて欲しいというのだ。

球形の花器1個・直方体を横にしたような形で、天板部に花を挿すための穴を3個開けた花器2個・魚のような形をした壁掛け花器1個・ノベルティー(ニコニコ笑顔の人形)8個

と様々である。

そして今日新たに制作依頼が入った。湯飲み碗と小皿各10個である。

小口で種類が多岐にわたるのでちょっと面倒だが、嬉しい注文である。丁寧に心を込めて作りたい。

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2009年11月24日 (火)

嘆くなかれ省略語を

年配の男性 「いいボールペンだねえ。金モールが高価そうだね。」

若者     「ええ、ヒャッキンで買いました。」

年配の男性「えっ!!シャッキンして買ったのかい?」

ラジオから流れてきた会話である。省略語を解する若者と、その意味を知らない年配者の、ちょっとした笑い話である。若者は“百均=百円均一の店”のつもりで言ったのに、省略語であることを知らない年配者は“借金”だと聞き取ったのである。

 省略語はいたるところに氾濫している。

「ドリカム」・・・、せっかく素晴らしい意味合いのネーミングなのに、どうして「ドリームズ・カム・トゥルー」と正式名称で呼ばないのだろう。当の本人たちもそれで良しとしているところが情けない。プライドを捨てた歌い手、としか言いようが無い。

「OECD」や「ASEAN]「WHO」・・・、これらは各単語の頭文字などをつなげたものだが、はじめから正式名称で書いたり言ったりすることが定着していたら、中学や高校の社会科の試験で「正式名称を書きなさい」なんていった出題をされないですんだのだ。

「婚活」「離活」「就活」・・・、嗚呼、なんてこった。こんなことでは、日本の若者たちは本来の正しい言い方が出来なくなってしまう・・・ウ、ウ、ううう・・・。

と、ラジオを聞きながらそんな思いが頭をよぎったが、これといった強い思いではない。言葉というものは時代と共に変遷するものだ。言葉も合理化を目指す。例えば、今では「母」は「ハハ」と発音しているが、奈良時代は「パパ」と言っていたらしい。そのうち「ふぁふぁ」となり、「ハハ」となった。「パパ」は唇に力をこめてから発する。それに比べ「ハハ」は息をはくだけで言える。言葉の合理化である。消え去る言葉もある。生起するものだっていくらでもある。

省略語が巷にあふれているからといって嘆くことはないのである。でも・・・。

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2009年11月23日 (月)

天を目指す花

 11月13日に最初の花を咲かせた皇帝ダリアは、その後次々に淡桃色の花を咲かせ、工房の屋根の上で揺らめいている。今日、花びらが根元に散っているのを見た。

 4月下旬、知り合いからいただいた“皇帝ダリアあかちゃん”の身長はわずかに10センチだった。花壇の隅に仮植えしておいたら、あっという間に四方八方に枝を張り、花壇の先輩たちを配下にし始めた。この植物の名前すら知らなかった私は、あまりにも成長が早く、他の花を席巻し始めたものだから、威張りくさったいやな奴と思い、早速移転命令を下した。この時点でやっと皇帝ダリアという名称を知り、やけに大きくなる輩(やから)だということも分かってきた。下手に建物の脇などに植えると、やがて根がはびこり、建物の基礎まで持ち上げるなどということも聞いた。元気すぎる彼には気の毒だが、大き目の鉢に移転してもらった。

 するとこんどは次なる厄介なことが起きた。こやつ、水を浴びるほど飲むのだ。朝方、鉢からあふれ出るほど水を飲ませるのに、夕方になると枝を下に向け、葉をしおれさせ、死にそうな声で「水早くくれ!」とせびるのである。夏を通り越すまで私は彼の「水遣りじいさん」として仕えなければならなかった。

 狭い鉢に押し込まれながらも、彼は開花時期を忘れることなく見事な花を咲かせている。私は巨人ながら短い命の花を下から見上げ、「よくここまでガンバッタなぁ。えらいぞ!」と声をかけていた。

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2009年11月22日 (日)

日系ブラジル人、Aさんのこと

 底抜けに明るい笑い声が工房に響いた。

日系ブラジル人女性、Aさんのことは教室に通っていいるもこちゃんからたびたび聞いていた。日本での悪条件下の就労、自らの病気入院、ブラジルにいる弟さんの死など、次々にふりかかるつらい出来事もものともせず、いつも明るい笑顔で過ごしている。彼女からは逆に元気をもらうのだと。遠くブラジルから就労のためにやってきた多くの日系ブラジル人は、日本で必ずしも親切に扱われているとは言えない。企業の経営状況によっては常にリストラの対象にされる。

 異国の地での成功を夢見て多くの日本人がブラジルに渡ったのは100年前のことだ。アマゾンのジャングルを切り開き、艱難辛苦の末なんとか生活を成り立たせることができた人もいたが、疲労困憊して帰国の途につかねばならなかった人もたくさんいた。幸いにしてAさんの先祖はブラジルの地で根を下ろすことが出来たのだろう。そして今、先祖の故国にやってきた彼女は、決して恵まれている状況下にないけれども、いつも前向きに明るく生活している。そうした彼女を支えているのがもこちゃんである。彼女の手書き新聞『おーい みんなのってるかい?!』№29に、Aさんのことをこう書いている。

“(彼女は)わたしと年齢が一番近く、気負わずに話せる相手である。彼女は今病気を抱えている。なのにいつも教室(日本語教室)一、大きな声で何度も笑う。見ていてとても気持ちの良い人だ。自分が患っているにもかかわらず、私の心配をしてくれる。(中略)

彼女の人生が決して楽しい事ばかりではなかったことは、彼女から聞いていたが、「ブラジルより日本の方がずっといい。」と言った。その言葉に私はかける言葉が見つからなかった。その深い意味の込められたことばに・・・。そんな彼女の笑い声に私はいつも救われる。コロコロ笑いながら「病気のこと考えてもしょうがないよ~。」独特のイントネーションで言う。強い人だ。そして優しい人だ。12月の日本語能力試験に向けて、私は彼女の役に立ちたいと思った。”

今日、もこちゃんは、Aさんに体験陶芸のプレゼントをしたのだった。もこちゃん新聞で紹介された通りのコロコロと笑うAさんに会え、マグカップ作りのお手伝いができたこと、わたしにとっても楽しく有意義な時間だった。

goodAさんともこちゃん  ほら出来上がったよ!

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2009年11月21日 (土)

笑顔は人を寄せる磁石なり

 妻の定年退職が近づいてきた。2つの総合病院勤務の後、小糸製作所診療所の看護師として長年勤めてきた。多くの人たちの看護と社員の健康管理業務を担ってきた。明るさと“テンネン”は天下一品の彼女だが、夫の私としては、きっちりと仕事をこなしているか少々気になっていた。

 今夜、妻は送別会に出席した。会社の同僚、「ステップアップ同好会」が催してくれたのだ。

妻は大きな蘭の花と息を吹きかけると変色するバラ、そして1冊のクリアファイルを抱えて帰ってきた。ファイルには80名ほどの同僚有志一同から寄せられた送別のメッセージが収められていた。妻はたいそう感激したらしく、早く私に読んでみろと勧めた。開くと、花柄が周囲に施されたA4用紙に、メッセージが書かれた花柄の額縁風メモ用紙が各ページに数枚ずつ貼られている。とても時間を掛け心を込めて作ってくれた送別のメッセージ集であることがすぐに分かった。私は80余人のメッセージ全てを声を出して読んだ。脇で妻と娘が聞いていた。

 「いつも診療所に行くと、笑顔で接していただき、お陰で今日まで健康でいることができました」」「いつもかわいい笑顔でお話してくれる村松さんが好きでした」「村松さんの笑顔にいやされました」・・・

妻の“笑顔”に触れたメッセージがほとんどだった。妻はきっちりと仕事をしていたのだ。これほどたくさんの同僚から送別のメッセージをいただいたのだ。妻は慕われ喜ばれていたのである。妻のがんばりもさることながら、会社のみなさんの支えとご理解があったればこそ定年まで勤められたのだ。ありがとうございました!

 

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2009年11月20日 (金)

皺(しわ)

 今は亡き儀祖母が言ったことがある。電気もつけないで風呂に入るので危ないと思い、点けるように促したときだ。

「点けずともいい。わしゃあ自分の体なんか見たくもないに!」

頑として点けようともしない。

風呂には鏡が掛けてある。老いさらばえた己の体を見るのが辛かったのだ。

私はそのときの儀祖母の心がなんとなく解かる年齢になった。

そんなことを思い出していた矢先、昨夕中学時代の同級生がひょっこり訪ねてきた。

工房の扉を開け、ニュウと顔を現した彼の頭は真っ白だった。そして顔には深い皺が幾本も刻まれていた。大工の棟梁をしている彼にふさわしい容貌だと思った。中学を卒業して大工の見習いをし、やがて棟梁になった。地道に仕事をし続けて45年。歳月の流れと共に彼の顔に1本、また1本と皺が刻まれていったのだ。誠実な仕事をしてきた、誠実な皺だ。朴訥な彼の性格をそのまま表している皺である。

私はまだ彼ほどの皺はないが、近い将来そうなるはずだ。儀祖母や彼のような素敵な皺を刻みたい。

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2009年11月19日 (木)

真夜中にシャボン玉を飛ばす女(ひと)

 今日、もこちゃんとご近所さんの高橋さんが来た。もこちゃんは初めての釉薬掛けをした。高橋さんは体験で飯碗と小ぶりの皿を作った。しっとりと落ち着いた雰囲気をもつ高橋さんは初めてながら、薄手の飯碗を上手に作りあげた。

 終了後いつものようにお茶会をした。そんなときに飛び出た話がある。

 私は16日(月)のブログに「シャボン玉」のことを書いた。いいおじさんが真昼間に一人シャボン玉を飛ばしている姿を他人に見られなくてよかった、と書いた。

 もこちゃんが言った。

「真夜中にシャボン玉飛ばしたことあるよ。私シャボン玉大好き・・・。」

ここにもそんな子供じみたことをしている、“いいおばさん”がいたのである。

いや、そうしたことができる女(ひと)は素敵である。陽光を受けて七色に輝きながら舞いとび消え去る、そんなはかないシャボン玉に惹かれる心がいい。

真夜中にやれば誰にも見られなくてすむ、いいことを聞いた。

 

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2009年11月18日 (水)

湯河原で

湯河原は雨に煙っていた。ここの温泉はかつて芥川龍之介、島崎藤村などの文人墨客が愛した温泉地である。

 2日間私は奥湯河原にいた。この地で働く若い知人に会うため、そして妻を慰労するための1泊旅行である。

 最上のおもてなしを受け、上品なつくりの料理に舌鼓を打った。知人の計らいで頂いたベルギーの濃厚な味のビールに酔った。そして上質な温泉につかった。

8日間の展示会の疲れが癒された。妻の慰労にもなった。知人がこの地で笑顔でがんばっている姿を見て安心した。嬉しかった。私はこの知人に帰り際に自作の短歌を贈った。

 

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2009年11月16日 (月)

シャボン玉

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わずかに青空が出たときを見計らってシャボン玉を飛ばした。すかさずカメラを構え吹き飛ぶシャボン玉を追う。何度も繰り返すが風が強いのでファインダーに捉えることがなかなかできない。ファインダーに入った瞬間シャッターを切る。が、ピントが合わない。

 シャボン玉に映じる世界を写真に捉えたい。そう思ってシャボン玉を飛ばしカメラを構えたのだった。1枚だけまともな映像があった。暗黒の宇宙に浮かぶ地球のように見える。

 シャボン玉で遊んでいる姿は誰にも見られなかった。よかったぁ。

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2009年11月15日 (日)

「第2回里山アート紀行」最終日

 きょう最後のお客さんは志戸呂焼陶芸家の細井さんと奥様でした。ご自分の展示作品を片付けてから立ち寄ってくださいました。細井さんは、薪窯で重厚かつ気品あふれる茶器を作っている、新人の私にはとても足元にも及ばない素晴らしい陶芸家です。そうした方に駄作をお見せするのは恥ずかしい限りでしたが、なんと「村松さんらしい、いい作品ですね。」とほめていただきました。外交辞令だろうなと思いつつも、素直に聞き入れた言葉でした。

 風が強く肌寒い天候でしたが、雪を頭に乗せた富士山が見える秋晴れに恵まれた最終日でした。

展示期間中いろいろな方との出会いがありました。お茶を飲みながら交わした会話の中に、心に響く話題が幾つもありました。庭や工房をほめて下さり、樹下の椅子に腰掛けて庭の雰囲気を楽しまれていた方もいました。そして、私の作品を求めてくださった方も。来てくださったみなさん、関係者の方々に感謝申し上げます。

 

good 賑わったギャラリー楽友

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sun 展示作品から

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2009年11月14日 (土)

「第2回里山アート紀行」2日目

 朝方、強風雨がギャラリー玄関扉を襲撃。牧之原台地特有の霧がアメーバーのごとくうごめいていました。暗雲漂う気分で2日目を迎えました。

 工房で準備をしていると、降りしきる雨の中を3人の美女が体験陶芸に訪れました。同じ職場の同僚とのことでした。

女性たちの明るさと、熱気に押されたのでしょう。いつの間にか雨が上がり、青空が広がっていきました。ギャラリーを訪れる人たちも急に増えてきました。ログハウス「ほっと一息ルーム」も大賑わいです。今日は2人の知人女性がお茶の接待の手伝いに来てくれたので大助かりでした。

 ギャラリー、ほっと一息ルーム、工房には終日お客さんが絶えることはありませんでした。朝方の悪天は私の気持ちを滅入らせましたが、いつの間にか気分爽快になっていました。

good 「上手に出来たよね。」と、満面の笑顔

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spade写真をクリックすると拡大写真が見られます。

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notes展示作品 

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2009年11月13日 (金)

「第2回里山アート紀行」初日

 きょうは平日です。しかも肌寒い曇天。展示会に足を運んでくれるお客さんはあまりいないかもしれない、と思っていたら、なんとオープンの午前10時少し前に3人、しばらくして2人・・・。次々にギャラリーに入ってきました。そして、中日新聞の記者まで取材に訪れました。

 朝食後庭に出てみると、茎丈4メートルほどに伸びた皇帝ダリアの花が一輪開花しているのに気づきました。ちょうどこの日に合わせるかのように咲いたので、“アート紀行オープンを祝ってくれているのだな!”と、私は今日一日が天気とは裏腹に、明るい日になるだろうと予想しました。その通りでした。ギャラリー楽友とほっと一息ルームは終了間際までお客さんで賑わっていました。

 休む間もなくお茶の接待をしてくれたのは、無農薬茶栽培に打ち込んでいる杉本園の26才の長男、エイゴ君です。ギャラリーで私の作品を見てくださった方は、ぞのまま帰らずに、必ずほっと一息ルームでゆっくりと歓談していかれました。エイゴ君の煎れるお茶の美味しさ、さらには若いながらも如才ない彼の応接の柔らかさが、お客さんの心をつかんだのでしょう。

 もう一つ嬉しかったことがあります。家山の喫茶店「お茶ぼっこ」の奥様がお一人で見えられたことです。遠乗りを一人ですることがあまりないらしく、いつもは必ずご主人と来てくださるので、お一人で見えられたことにびっくりしました。同時にとても嬉しく思いました。ご主人特製のフンワリと焼き上がったシフォンケーキを差し入れてくださいました。ご主人の心遣いに感謝です。

 奥様は、わたしのブログをいつも読んでくださっていて、以前連載していた『おばあちゃん』を全文読みたいからと言って元本を持って行かれました。私が編集した本の読者がまた一人出来ました。

good エイゴ君の煎れたお茶はグーでした。

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notes お茶を飲みながら歓談するみなさん

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sun 展示作品 

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2009年11月12日 (木)

「第2回里山アート紀行」開始         

 「里山アート紀行」なる企画の発端についてご紹介しておきます。

メディア向けに書いた文章からの引用です。

この企画の発端は、「里山」としてふさわしい自然が色濃く残る島田市菊川・神谷城地区の活性化はいかにあるべきか、というところにありました。島田市と金谷町合併後の同地区への人の流れが細っていくことに憂いを感じていた近隣地区で活動している工芸作家達が輪を結んだのがきっかけとなり、まずは活性化の一助として、それぞれのギャラリーや工房を同時開放することで多くの人たちに晩秋のひとときを芸術作品に触れていただこう。かつ、里山のもつ癒しを体感していただこうということで、昨年「第1回里山アート紀行」を実施したところです。貴社および他の多くのメディアにも取り上げていただいたお陰で、市内はもとより市外からも多くの方が足を運んでくださいました。あらためて感謝申し上げます。

第二回の今回は地域住民と早くから議論を重ね、地域の主産業である「お茶」と「アート」とのコラボレーション(おそらく日本初の企画)が実現することとなりました。茶産業、茶文化を支えている地元茶農家が自慢のお茶を携え、各作家の工房などに出向いてお客様にお茶を振る舞う。来場したお客様に、アート作品の鑑賞と茶の香り・味を楽しむ至福のひと時を送っていただこうという企画です。今年は、同地区(猪土居地区も含む)の作家5人に加え、志戸呂焼き、切絵、アクセサリー、木彫の各作家を他地区からお呼びして、昨年以上のボリューム感を創り上げる予定です。

「ささやき窯 楽友」では、『花のある生活 ちっちゃな花器展』を8日からスタートさせました。明日から3日間は、他作家のギャラリー巡りも楽しむことが出来ます。同時に、地元茶農家自慢のお茶を飲み比べる楽しさも加わります。お気に召したお茶を買い求める事も出来ますので、どうぞ当地区に足をお運びになって晩秋の一時をお過ごし下さい。

 ※「里山アート紀行」の詳細はこちらをクリックしてください。

 http://homepage3.nifty.com/sasayakigama/newpage6satoyamaart2.html

 

good「ギャラリー楽友」の展示作品 その3

 

花器でありながら多目的用途も備えています。

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2009年11月11日 (水)

『ちっちゃな花器展』その4

 「第2回里山アート紀行」(http://homepage3.nifty.com/sasayakigama/newpage6satoyamaart2.html)が13日(金)から始まります。「ささやき窯 ギャラリー楽友」は先行して8日(日)に開始しました。あいにくの天候のためか、今日は客足はまばらでした。

 午前中は会員のもこちゃんが、ご近所のご婦人(高橋さん)を連れて来てくれました。高橋さんも陶芸に興味をお持ちの方で、さっそく体験陶芸の予約をしてくださいました。

みなさんとログハウス「ほっと一息ルーム」でお茶を飲みながらあれこれとおしゃべりをしました。そんな中で私が、「こんど教室に通っている方たちと忘年会をするんですよ。もこちゃんも出てくれるんだよね。」などと言ったことに呼応して、もこちゃんがこう話してくれました。

「お誘いの電話があったとき、即座に出席しますと言ったんですよ。だって、ここの教室に通ってくる人たち、ほんとうにいろんな方がいるので、そういう方たちとお会いするのとても楽しみだから。」

同じ教室に通いながら、一度も顔を合わせたことのない人たちとの出会いとつながりを積極的に持とうとするこうした心意気に私は感心してしまいました。さすが前向きな生き方をする女性です。

午後、一人でお見えになった焼津市の女性も素敵な方でした。彼女は2度体験陶芸に来て、見事な花器などを作った方です。大学時代、服飾関係の勉強をし、卒業間もなく小さな店を構えたそうです。そして20数年間その店のオーナーとして今に至っているというお話をしていかれました。次回体験陶芸をするときの構想も持っていて、作りたいものを具体的に描いていました。

good 展示している作品 その2

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2009年11月10日 (火)

「花のある生活 ちっちゃな花器展」その3

 10時オープンと同時に4人のご婦人がお見えになりました。陶磁器観賞が大好きな方々で、とても熱心に見ていってくださいました。しばらくすると今度は川根本町から2人の女性が来てくれました。一人は自らも陶芸をやっている方で、しきりに作り方や釉薬について質問をしてきました。とそのうちに更に4人の方が訪れました。1月前体験陶芸に来てくださった年配のご婦人方でした。

こんな方も来てくださいました。やはり昨年2度にわたって体験陶芸に来てくださった若いご夫婦です。今度は生後3ケ月になる、まるまると太ったかわいらしい女の赤ちゃんを連れていました。ご夫婦で当教室に通いたいとおっしゃっていましたが、赤ちゃんができたため通えずにいたようです。

 昼食にありつけたのは2時半を過ぎていました。嬉しい忙しさでした。

goodこんな花器を展示しています  その1

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2009年11月 9日 (月)

「花のある生活 ちっちゃな花器展」その2

 展示会の期間中(8日~15日)、“ギャラリー楽友”や展示作品やログハウス”ほっと一息ルーム“などを写真でご紹介します。

good「ささやき窯 楽友」入口  イーゼルに案内を置きました。奥が工房、左手がログハウス。

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sun“ギャラリー楽友”の玄関 期間中は扉を全開して入りやすいようにしています。インフルエンザ対策で「消毒 液」を置きました。

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spade昨日のブログにも載せましたが、今回は昼間撮影した「ニコニコさん」を再掲載します。

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2009年11月 8日 (日)

「花のある生活 ちっちゃな花器展」初日

 展示会初日です。前日までにギャラリーの総入れ替えと庭の手入れなどを多くの時間をかけてしましたが、その甲斐がありました。まずは秋晴れの過ごしやすい天候に恵まれたことも奏功し、午後から予想していた以上のお客さんがきてくださいました。

 若い夫婦と幼子3人、新聞記事を見て訪ねてくださった焼津の老夫婦、静岡からおいでになったご夫婦とお友達、、牧之原市の家族3人などの方々が、ギャラリーで私の作品をじっくりと鑑賞してくださいました。前日、2人の若者に任せたレイアウトも気になっていたところですが、「展示の仕方、とてもいいですね。」と褒めていただきました。

 みなさん、ギャラリーだけでなく、木の香り漂う工房にも入って、体験陶芸の作品にも目を向け、「すごく良くできているね。」などの会話を互いにしていました。さらに、ログハウスの「ほっと一息ルーム」でお茶を飲みながら、初対面のお客さん同士が楽しそうにおしゃべりを交わす光景はとても微笑ましく思いました。まずは順調な初日でした。

good ギャラリー入口 両サイドに花器を配置、正面奥に「ニコニコさん」人形を置きました。

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「ニコニコさん」人形  みなさんこれをご覧になって思わずほほえんでいました。

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ギャラリーはこんな具合です(一部)

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2009年11月 7日 (土)

里山アート紀行 先行開始準備完了

 「第2回里山アート紀行」は13日(金)から始まるが、「ささやき窯 楽友」では明日から“花のある生活 ちっちゃな花器展」を先行開始します。

 ギャラリー展示物の総入れ替えを一昨日の夜から取り掛かり、昨夜遅くなんとかやり終えました。展示のレイアウトのほとんどは美大出身の若者(男女)二人がやってくれました。若い感性は一味違います。私には思いもよらぬ展示の仕方を考え出すので感心してしまいました。

 主たる展示作品は種々の花器ですが、今年の里山アート紀行のテーマ、『お茶とアートのコラボレーション』に合わせ、4種類の湯飲み碗や湯冷ましなども展示しました。

 落葉したコブシやマユミの樹木の下には、六角形の木製テーブルを新たに設置し、ギャラリー展示物鑑賞後のひと時を楽しんでいただく手はずも整えました。どうぞみなさんお誘い合わせておいでください。お待ちしております。

 

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2009年11月 6日 (金)

朝陽を拝む

 昨夜はブログを書きながら寝入ってしまった。気がつけば外はかすかに明るくなっていた。

天候が気になってカーテンを開け外を見た。東の空が赤く染まっている。久しぶりに朝焼けを見た。毎日のように日を越してから床に入るので、なかなか早起きができないぐうたらな私だが、今日はトイレに起きたついでにエイッとばかりに起きた。それがよかった。ベランダに出て、次第に東の空一面が赤く染まるのをカメラを構えながら眺めた。やがて太陽が顔を見せ始めた。神々しかった。やっぱり早起きは徳をする。

good日の出前→太陽顔見せ始まる→お日様顔見せ直後

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2009年11月 5日 (木)

移ろい行く季節を楽しむ

 「ささやき窯」の庭木もすっかり秋の装いになった。

 サンシュユはすっかり葉が落ち、赤い艶やかな楕円形の実をつけた。古来、生薬の強精薬として使われているそうな。私は使った事はないが、庭になっているのだから、製法を調べて作って試し飲みしてみようかしらん・・・。小鳥たちにほとんど食べられてしまった柿実はすでになく、病葉(わくらば)が数枚しがみついているだけである。足下には風に吹かれカサコソと行き場を求めて動き回る落ち葉が寄り添っている。庭はこれから茶色の世界に変わっていく。やがてコブシもヤマボウシもカエデも全ての葉を落とす。

 対照的に、鮮やかな黄花をつけた石蕗(つわぶき)が、玉つげの傍らから首をもたげている。垣根の山茶花にピンクの花も咲き始めた。

 展示会用作品作りがどうにか終えた今日は庭の手入れをした。時おり芝生に腰を下ろし移ろい行く季節を楽しんだ。

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2009年11月 3日 (火)

『おばあちゃん』その10

 夕食時、儀祖母(かねおばあちゃん)からいろいろ聞き出し、こっそりテープに収録したのは26年も前のことである。その時儀祖母がしゃべったことをそっくり文字に起こし、一冊の本の中に収めた。きょうはその中の「ひ孫との会話編」である。

なつみ  「おばあちゃん、何人兄弟なの?」

かね   「わしの兄弟かね。うーんと、4人かな。1人死んだで5人だねえ。」

あやみ  「だれが死んだの?」

かね   「一番下が死んだだに。こんたあ(今度は)、だれが死ぬだか。わしも早く死んだほうがいいだけん困るじゃん。死ぬ時がこにゃあ死なれんもんで・・・。」

あやみ  「ううん、死なないで!お家にいてくれないと、あやみ一人ぼっちになっちゃうし、遊べなくなっちゃうじゃん。」

かね   「隣のおばあさんじゃあないけえが、死なすと思えば、(庭の)前の松の木へ吊るさがりゃあ、下締めもあるけど、そんなことをしても、後々のために悪いで我慢しているっていつも言うけえが、わしも家の前の松の木を見ちゃあ、隣のおばあさんの言っていることを考える時があるに。」

なつみ  「あばあちゃん、だめだよ!あの松の木じゃあ、松の木が折れちゃうよ。」

あやみ  「そうだよ!」

なつみ  「おとうさん!松の木折れちゃうよね。おばあちゃんのお尻重いんだから。」

あやみ  「うん、うん。」

かね   「なあに、今じゃあ軽いよ。なっちゃんより軽くなっちゃたよ。」

 

儀祖母の米寿を記念して編集した『おばあちゃん』の“まえがき”に、私はこう書いている。

この小冊子は、おかねおばあさんからのプレゼントです。

(中略)

 百姓の子として生まれ、物心ついたころから土と戯れ、土にまみれ、いつしか土の恩恵を知り、土と共に生きてきた祖母。家父長制の時代の中で、己を殺し、ただひたすら夫や家族のために寝食も惜しんで動き回ってきた祖母。彼女はどれほどたくさんの辛苦の汗を大地に流してきたことでしょう。

 わたしは、祖母の米寿を機に、彼女の流した汗の足跡を振り返り、現在の祖母の存在を改めて見直そうと考えました。ひ孫の世話をしている彼女の柔和な顔から、過去の苦渋にゆがんだ顔を連想してみたいと考えました。力強く生きてきた明治の女(ヒト)に想いをはせてみようと考えました。

 婿に来た私にとっては義理の祖母になるわけですが、過去の祖母のことについては妻や叔母たちから断片的にしか聞き知っていませんでした。(中略)これを機に、もっと祖母のことを知りたいという私自身の好奇心が今回の小冊子発行を思い立ったそもそもの要因になっています。

 

 ブログでご紹介したのはほんの一部分だけですが、これで『おばあちゃん』の連載を終了したいと思います。

読んでいただいた方に感謝いたします。

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2009年11月 2日 (月)

展示会に向け大わらわ

 2つある窯をフル回転させている。11月8日から始める展示会の作品作りに追われているからだ。陶芸教室に通う生徒さんや体験陶芸指導の合間をぬってのことなので、自作品にあまり多くの時間が取れなかったが、なんとか展示会に間に合いそうだ。

 今日は午前中に施釉をし、午後から窯詰め、6時に火入れをした。窯から出せるのは6日の夕方になる。翌7日にはギャラリーの展示作品を入替える作業が待っている。さらに忙しくなりそうだ。でも、この作業は美大を出た若い男女二人にやってもらうことにしている。若い感性と美的センスの持ち主なので、きっと見栄えのするレイアウトになるだろう。

good前日窯出ししたばかりの窯に、今日再び作品を詰めた。

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good 昨日窯から出したばかりの作品たち

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2009年11月 1日 (日)

『おばあちゃん』その9

 私達家族は昭和52年に現在地に移り住んだ。それまでは旧榛原町切山(最明寺)に住んでいた。県道の拡幅工事で敷地の半分を削られ、仕方なく他地域に土地を求めたのだった。家屋を取り壊し他所に移り住むことは、若い私達夫婦には大きな抵抗はなかったが、儀祖母にとってはこの上ない辛い出来事だった。そのときのことを儀祖母に尋ねたときの記録である。

私    「牧之原に移ってくる時は辛かった?」

かね   「そりゃぁ辛いっけよ。わしゃぁ最明寺によっぽどいたかった。一人でも残りたかった。広市(隣のおじさん)っちゃんが、そんなバカなことすんなって、そんなバカなことしちゃぁ、つまらんで、(若い衆に)ついていけって、ええかん言われたに。」

    「長年むこうにいたでねぇ。」

かね   「60年いただもん。嫁に来てから60年住んでいた土地だからねえ。そんだもんで、わしゃぁ離れるのが辛いっけだよう。」

 その時の儀祖母の心境を、彼女の長女が次のように詩にしたためてくれた。

    

            懐かしきわが家よ         藁科ソヨ

 

  住み慣れし家失せぬ / 跡地に残りし柿の木数本 / 朽ちた古井戸見やむれば /

  胸つまりて涙落つ

  住み慣れし家失せぬ / 柿の実熟せど家人はおらず / 喉うるおしぬ古井戸を /

  覆いしトタンがうらめしや

 

  住み慣れし家失せぬ / 跡地にたたずみて瞳閉ず / 去来するは古井戸を /

  飾りしボタンキョウの花 / 庭を埋めしナス、キュウリ

 

  住み慣れし家失せぬ / 60年の歳月の / 思いを刻みし家失せぬ /

  母の心を想うとき/胸詰まりて涙落つ

 

  詩を寄稿してくれたソヨおばさんも齢(よわい)90の峠を越した。ソヨおばさんの母親(かねさん)がなくなったのは93才だった。

   (つづきはその10へ)   

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