『おばあちゃん』その9
私達家族は昭和52年に現在地に移り住んだ。それまでは旧榛原町切山(最明寺)に住んでいた。県道の拡幅工事で敷地の半分を削られ、仕方なく他地域に土地を求めたのだった。家屋を取り壊し他所に移り住むことは、若い私達夫婦には大きな抵抗はなかったが、儀祖母にとってはこの上ない辛い出来事だった。そのときのことを儀祖母に尋ねたときの記録である。
私 「牧之原に移ってくる時は辛かった?」
かね 「そりゃぁ辛いっけよ。わしゃぁ最明寺によっぽどいたかった。一人でも残りたかった。広市(隣のおじさん)っちゃんが、そんなバカなことすんなって、そんなバカなことしちゃぁ、つまらんで、(若い衆に)ついていけって、ええかん言われたに。」
私 「長年むこうにいたでねぇ。」
かね 「60年いただもん。嫁に来てから60年住んでいた土地だからねえ。そんだもんで、わしゃぁ離れるのが辛いっけだよう。」
その時の儀祖母の心境を、彼女の長女が次のように詩にしたためてくれた。
懐かしきわが家よ 藁科ソヨ
住み慣れし家失せぬ / 跡地に残りし柿の木数本 / 朽ちた古井戸見やむれば /
胸つまりて涙落つ
住み慣れし家失せぬ / 柿の実熟せど家人はおらず / 喉うるおしぬ古井戸を /
覆いしトタンがうらめしや
住み慣れし家失せぬ / 跡地にたたずみて瞳閉ず / 去来するは古井戸を /
飾りしボタンキョウの花 / 庭を埋めしナス、キュウリ
住み慣れし家失せぬ / 60年の歳月の / 思いを刻みし家失せぬ /
母の心を想うとき/胸詰まりて涙落つ
詩を寄稿してくれたソヨおばさんも齢(よわい)90の峠を越した。ソヨおばさんの母親(かねさん)がなくなったのは93才だった。
(つづきはその10へ)
| 固定リンク


コメント