工房紹介

  • 「ささやき窯 楽友」
    工房を構えて10年が経ちました。 大井川流域の木材で建てた工房を訪れた方が、「木の香がするね。」と顔をほころばせて言ってくれます。緑輝く芝庭、緑樹の庭が目と心を癒します。母屋に設けた第1ギャラリーとログハウス2回の第2ギャラリーには私の作品を展示し、販売もしています。                                                                                               陶芸教室に通う生徒さんたちのにこやかな笑顔と、楽しげな会話があふれる陶芸工房ささやき窯。                                                              「体験陶芸」「教室入会者」募集中です。どうぞお気軽にお問い合わせ下さい。    春休み・夏休みなどの長期休暇には、「子供体験陶芸教室」も開講します。

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カテゴリー「旅行・地域」の153件の記事

2018年1月14日 (日)

出逢い 9(最終回)

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石垣島、名蔵湾の入日(フサキビーチにて)20171226_024


過去の旅を思い起こす。

幾多の景勝地はさることながら、多くの人との出会いは思い出深い。殊更、 京都円山公園にある小さな宿で知り合ったSさん、八重山諸島の一つ、波照間島の民宿で、手作りの古びたテーブルを囲み夕食を食べ合った若者カップル、北海道一周車旅の途上、宗谷岬で声をかけた日本一周自転車旅をしていた若者二人、八ヶ岳赤岳で出会ったご家族などは、 その後の交流につながった。Sさんはじめ全員が私の家に泊まり掛けで来てくれたり、こちらから先方にお邪魔することもあった。年賀状のやり取りを続けている方もいる。
双方無理のない緩やかな繋がりを保っている。

旅の途上、偶然出会った方達とのこうした繋がりは、旅の思い出をより良きものにしてくれるだけでなく、人生に彩を添えてくれる。 今回の八重山諸島の旅でもそういう方と出会った。

小浜島2日目、自転車で島めぐりをしていて出会った女性だ。小浜島最高峰(と言っても標高100mにも満たない山)の大岳(うふだけ)からの眺望を楽しみ、階段下に置いた自転車に戻った時、妻がその女性に声をかけ、少し会話を交わしたのが最初だった。私達は、地元民に教えてもらっだアナ場゙だという海岸に向かった。あと少しで目的の地に 、という所で、ペダルをこぐあの女性に遭遇。彼女は小浜島の集落に行きたかったのだけれど・・・、と言った。絵地図を見ると、全く反対方向に彼女は走ってきたようだ。「私、方向音痴だから・・・。」 それがきっかけでその女性と共に島内自転車巡りとなった。幾つかの見所を見てから集落に入り、NHK朝ドラ「ちゅらさん」の舞台「こはくら荘」の外観を見たりしながら集落内を散策。ひそやかな、でも落ち着いた雰囲気の食堂や喫茶店にも立ち寄った。 夜は宿泊先から出て、小浜島外れの居酒屋で酒を交わしながら談笑。こうして終日行動を共にすると、双方に親近感が醸成される。女性は私達の子供位の齢だから、より親しみが沸くし、可愛く思える。彼女もまた私達に親しみを感じたようだった。 実を言うと私はこの女性を覚えていた。初日、中部国際空港で石垣島行の搭乗口で彼女を見かけていたのだ。身に付けている淡い黄色の服が印象的だった。最近、パステル調の黄釉薬の調合実験をしていて、その服の色調が私の目指しているものだったからだ。ああ、こんな色を出したいなあ、とその時思った。

その後2日間は別行動だったが、黒島巡りをして石垣空港に一足先に戻った女性は、私達がなかなか戻らないのを心配して待っていてくれた。 三重県でスクールカウンセラーをしているという彼女は、活動的で行動力たくましい、かつ知的な女性だった。 春になったら私達の家に迎えることを約して中部国際空港で別れた。その後、妻と女性との間ではSNSでのやり取りをしている。

2018年1月 3日 (水)

島の手仕事職人に会う 8

年を越したが、八重山諸島巡りのことを今少し書いておきたい。

最終日の石垣島では、地元で手仕事を生業にしている方たちを訪ねる予定を立てた。

旅行前、石垣島観光交流協会にお願いして送っていただいた種々のパンフレットの中に、石垣市商工振興課が発行した『自然の先にある 島の手仕事』なる冊子があった。島産の材を使って家具などを作る木工職人、苧麻(ちょま)の繊維で機織りする機織職人、石垣島などで創作している陶芸家などが紹介されている。その中から3人にお会いしたいと思った。
20171226_113 台地にしっかりと根を張り巡らしているガジュマルの木(石垣島白保にて)


最初に向かったのは、「やちむん館・工房紗夢紗羅」の池原美智子さんの工房である。池原さんは石垣空港近くの白保集落の一角でアダン葉草履や円座、枕、ゴザなど生活必需品を手作りしている方だ。アポイントなしの訪問だからお会いできるかどうか。はたして工房へといざなう車一台がやっと通れる狭い無舗装道の角に、「休み」の手書き看板が・・・。無理もない、この日は12月28日だから。

それでも、と、車を忍び込ませた。くねった道の奥に工房が見えた。それは、うっそうとした、でも手入れが行きとどいた緑樹に覆われるようにして建っている。それらの木々は、アダンや月桃(げっとう)のようだった。この材を使って池原さんは様々な民具を作っているのだと冊子で紹介されている。左手には大きなガジュマルの木が、まるて守護神のようにデンと構えていた。冊子によれば、作品群はこの敷地内で育つアダンや月桃(げっとう)を使い、いちから創り出されるのだという。

工房玄関で声を張り上げたが、中からは応答がなかった。残念、お会いしたかったのに。

あきらめて次へと向かった。石垣島を斜めに横断し、一気に川平湾まで車を走らせた。そこは景勝地だけに多くの観光客がいた。しばらく海辺を歩き、高台からグリーンやブルーに輝く美しい海を眺めた後、「南島焼」の作家、奈美ロリマーさんの工房に足を運んだ。海岸沿いの幹線道路から枝道に入り、緩やかな坂を行くと、南島焼の看板に出くわす。そこからは車一台がやっと通れるくらいの山道だった。こんな所に、と訝しさを感じながらゆっくりと車を進めていくと、竹箒を動かしているご婦人がいた。こんにちは、と声をかけると、この奥でお待ちです、と言う。先ほど電話で応対してくれたご婦人だった。更に奥に行くと、前方に初老のご婦人が笑顔でこちらを見ているのに気付いた。連絡を入れておいたので、私たちを待っていてくれたのだ。

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仲良く並ぶトックリヤシの向こうに入ったところに南島焼の工房があった。

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奈美さんは、沖縄の焼き物に魅せられたニュージーランド人の夫君とこの地に渡り来て、望みの土と出会い、家を建てるにふさわしい場所を見つけて移り住んだ。自宅建設は夫婦でやり遂げた。木製の廃棄電柱を利用して造ったそうだ。地元民の助力もあった。家壁を土と藁を混ぜて作る時難儀していたら、地元民が水牛でやってくれたのよ、とその時のことを嬉しそうな表情で話してくれた。以来30年間、石垣島の土を使って作陶を続けてきた。当初は幾何学模様のモチーフを描いていたが、豊かな島にいることに感謝して、島にあるものを描き始めた。花、動物、魚・・・。 奈美さん手作りのマンゴージュースを頂きながら、彼女の作品を手にとって愛でた。お皿にはタコや魚が色とりどりに描かれている。厚手の皿は日常頻繁に使っても簡単には壊れそうもないほど頑丈そうだ。 彼女は、器は飾りではなく使ってこそだと思う、と言う。 手作りの木製テラスでお話を伺っていると、鶯がやってきた。黒い蝶々もヒラヒラと舞っている。清流の音も聞こえてくる。家の脇に流れる小さな沢の水が一家の命を支えている。 自然と共に生き、モノ作りを続ける彼女の表情は穏やかで美しく輝いていた。 もうお一人お会いしたい方がいたが、空港に向かう時間となってしまった。石垣島で生まれ育ち、半農半陶の暮らしをしている陶芸家、宮良断さんである。お会いできなかった方達を訪ねるために、また石垣島に行こうと思う。

2017年12月31日 (日)

なんくるないさーのココロ 7

20171226_023 石垣島 フサキビーチから。名蔵湾に沈む夕日。
20171226_043
そこここで見られるトックリヤシとささやき窯唯一の専属モデル



離島故なのか、はたまた沖縄だからなのかはわからない。本土ではこういうわけにはいかない。

西表島でレンタカーを借りたのだが、借りる時、返却する時の手続きが極めておおざっぱというか、簡単なのだ。免許証を提示し書類に氏名や住所などを書くのは本土と変わりないが、貸し出す車両のボディーに既存傷はないかなど、店員と一緒に点検することをしないばかりか、「返却時、へこみ等の目立った破損がなければ少しばかりの傷がついていていてもオーケーです。」と彼は言ってキーを手渡してくれたのだ。もちろん返却時の点検は一切無しである。

小浜島で電動アシスト付自転車を借りた際には、「カギはつけっぱなしでいいからね。」「えっ!大丈夫ですか?」「へたにカギをはずすとなくしたりするからさー。」

へぇ~、そうなのか。自転車盗がよくある本土に住む私にとっては驚きだった。同時に、このおおらかさに心が和んだ。

沖縄には「なんくるないさー」なる言葉がある。

テキトーでいいさ、なんとかなるさ、と言った意味合いに受け取られている。

この地では「少しぐらい傷があったって問題ないよ、なんとかなるさ、テキトーにしておこう。」といった県民気質が上記のような対応になったのだろうか。


小浜島や西表島で「命どぅ宝」という言葉を見かけた。これも沖縄のソールワードだ。「ぬちどぅたから」と沖縄では発音するらしい。

これはあの悲惨な戦争、沖縄では「沖縄戦」というが、戦後どこからともなく沖縄全土にスローガンのように広がった言葉だそうだ。戦争で命も建物もほとんどのものが失われたけれど、命さえあればそれでいいんだよ。命こそ宝だからね。

「なんくるないさー」とは、どん底から立ち上がるための力強い言葉だったのだ。

してみると、「少しばかりの傷はなんくるないさー」とばかりに応対したレンタカー会社の店員のココロは、「大きな事故もなく無事に戻ってきてくれればそれだけでいいんですよ。少しくらいの傷がついていても。ご無事で何よりでした。」だったのだな、と思うのだ。

2017年12月30日 (土)

ゆっくり ゆっくり 6

(石垣島白保にあったガジュマル)

島のおじいが運転するケットラ(軽トラック)が走ってきたら、手を挙げてごらん。停まってくれるかもしれない。乗っけて、って頼むと、乗せてくれるよ。そうしたら、おじいは時速15キロでゆっくりゆっくりと島を案内してくれるはず。


小浜島のリゾートホテル「はいむるぶし」で長年ロビーコンサートをしているシンガーソングライター つちだきくおさんが 、弾き語りの合間にそう語っていた。


小浜島には信号機は一つもない。島民の足はもっぱら車だが、なんせ周囲16キロの小さな島だから、自転車の速さほどで走ってもすぐに目的地まで着く。速い走りは不要なのだ。

とはいえ、島民らしき人が運転する車はほとんど見かけない。小浜島2日目に電動アシスト付き自転車で島内巡りをしていて気付いたことだ。


石垣島をレンタカーで空港に向かって走っているときのこと。一台のケットラが前を行く。もちろん40キロ、ではない。30
キロの速度である。追い越し禁止ゾーンが続いているからなかなか追い越せない。帰りの飛行機の時間が迫っているというのに。

どの道路も40キロ制限 なのだから、ケットラの運転手に文句は言えない。

日頃の自分の走りを振り返る。
40キロ制限の道は50キロ出しても取り締まりの対象にはならないだろうと思う自分。40キロなんて遅すぎる、と感じる私。
改めて昔あった交通標語を思い出し噛み締めた。


狭い日本
そんなに急いで
どこへ行く

2017年12月29日 (金)

ゆんたく好き 5

(石垣島川平湾)


「ゆんたくしながら行きましょう。」

初日のこと。石垣島の空港で離島ターミナル行き直行便に乗ったのだが、乗客は私と妻の二人だけ。島育ちの運転手が、出発間際にそう私たちに言った。
「おしゃべりしながら行きましょう。」と言った通り、運転手はよくしゃべる。速度は40キロも出ていない。あまりにもゆっくりなので、小浜島行きの船に間に合うか気が気ではなかった。


最終日。レンタカーで石垣島を巡り、空港近くで車を返した。そこから空港行きの送迎バスに乗った時のこと。この時も乗客は二人だけ。年配の車掌が私たちの方を向いて言った。
「お客さん、夫婦喧嘩してたの?」

バス停は乗降しやすいように道路から一段高くなっているが、そうとは気づかない妻は、道路に下りていた。そこにバスが入ってきてたので私は妻の腕をつかんで上に引き上げた。そしてひと言二言妻に説教をした。車掌はそれを捉えて、喧嘩?と聞いたのだ。
「そうなんですよ。これから旅行を終えて帰るんだけど、妻が帰りたくない~、ってだだこねるんで。」などと私は応じた。
それを機に、しばらく車掌と
゙ゆんたぐしながら空港にむかった。

島の男たちばゆんたく(おしゃべり)゙好きである。

2017年12月28日 (木)

人牛一体 4

(西表島で)


人馬一体ならぬ、人牛一体と言うべきか。

この子らに食わせてもらってるんだよ。

水牛車を操る男が、心底牛に感謝していることがこちらに伝わるほどの言い様であった。

水牛は10人以上の客を乗せ、浅瀬に足を踏ん張りながら一歩一歩対岸の離島に向かい、再び客を乗せて戻ってくる。

対岸の離島とは、西表島の由布島のことである。人気の高い観光ポイントだ。駐車場には団体さんを乗せた観光バスが幾台も停まっている。

水牛たちは1日に何往復もする。強靭な足腰とはいえ、不安定な浅瀬を海水に浸かりながら重い車を曳くのだから、さぞかし疲れるだろう。

客を降ろし終えると、手綱を操る男は牛の体をさすりながら言った。よく聞き取れないが、よしよし、ご苦労さん、疲れたろう。きっとそうねぎらいの言葉をかけているのだ。

男は三線を爪弾いて島唄を唄ってくれた。沖縄地方独特な節回しと歌詞で観光客を喜ばせる。
いや、もしかしたら相棒の水牛に聴かせているのかもしれない。

2017年12月27日 (水)

南国なれど 3

(石垣島フサキロリゾートで)

八重山諸島巡り3日目。
初日、石垣島から小浜島に渡り2日間過ごした後、西表島を訪ね、石垣島に戻ってきた。日中の気温18度ほどだが、風が強いので南の島には似つかわしくない服装の旅行者ばかりだ。私は半袖なのに。が、やせ我慢は 長続きしないもので、時にたくしあげていた長シャツを袖内から引きずりだした。


港の店員が言う。今日はいい方だよ、強風で巻き上げられた海水が霧のようになって降り注ぐことが多いんだよ、と。

それでもヤシの木が南国情緒を醸し出していた。

2017年12月26日 (火)

島で出会った人たち 2

(小浜島の居酒屋、フクギで)

(小浜島シュガーロードで)
😄一緒に島内散策した女性、Kさんが撮ってくれた写真)

小浜島で出会った人。
宿泊先で部屋まで案内してくれた若者。彼は神奈川県から来た。居酒屋、゙さとうきび゙の運転手は福岡県出身。絵を描きたくて島に来て気に入り、ここに居着いたと話す。ホテルでヨガのインストラクターをしている女性は埼玉県からやって来て1年。近く夫君も移り住むと話していた。本集落で喫茶店ヤシノキを営む男性は兵庫県から。小浜島初の喫茶店を始めた方である。移住して30年になる。
細崎にある居酒屋フクギで働く若き女性2人。一人は東京、もう一人は静岡県から。
人口600人ほどの小浜島には、島外出身のこうした人たちが生き生きと働いていた。

そして小浜島2日目に、終日自転車で行動を共にした女性Kさんは、たまたまセントレア空港で同じ飛行機に乗り合わせた方だ。沖縄の離島に好んで足を運んでいる、これまた生き生きとした女性だつた。

KBG84 1


小浜島で知ったことがある。ここには、゙KBG84゙なるアイドルユニットがいるのだという。
「こ(K)はまじま、ば(B)あちゃん、が(G)っしょうだん、平均年齢84歳」の略である。もともとあった島のおばあたちの合唱団だが、その活動が注目され、厚生大臣から表彰を受けたり、東京と大阪でのライブをやったり、テレビ番組「徹子の部屋」に呼ばれたり、テイチクレコードよりメジャーデビューも果たしたりした。゙天国に一番近いアイドル゙だ。

島の中心部を自転車で散策している時、妻が一人のおばあに声をかけた。もしかしたらKBGのメンバーかも、と思ったのだろう。果たしたてその通りだった。膝に痛みがあるものの、口だけは達者だよ、と話す89歳のおばあだ。生き生きとしたしゃべり口調、輝く瞳は「おばあ」と称するに似つかわしくない。

彼女が繰り返し言った言葉がある。小浜島は豊かだよ。だから私はここから離れられないのだと。

機織りをすること、農作業をすること、豊年祭や結願などの島の伝統的神事に関わること、そうしたことが歳をとっても出来ること。彼女の思う「豊かさ」はそこにあった。


居酒屋やホテルで働く若者の多くは、本土からやってきた。離島に来た理由を問うと、一様に「何もない所だから」と答える。
豊かな自然がいっぱいだから、という意味合いがあるのだろうが、島民には失礼な表現かもしれない。前述のおばあは言うだろう。「豊かさ」があるではないか、と。


KBG84メンバーが書いた本を島の小さなスーパーマーケットで見つけ手に入れた。
「笑顔で花を咲かせましょう」

彼女たちが紡いだ、長寿と健康と笑顔の秘訣である。

2017年10月 1日 (日)

頂きへ・・・?


頂きへ・・・?

八ヶ岳赤岳の登山べース的な山小屋、行者小屋まで約2時間半かけて歩く。前夜、車中泊だったから熟睡ならず、足どり重い。

行者小屋のベンチに腰下ろし、恐竜の背のような横岳を仰ぎ見た。一休み後、重い腰を上げ、八ヶ岳最高峰、赤岳に足を向けた。3つあるルートのうち、人工的な階段が天に向かって伸びる急なルートに挑んだ。すぐに息が切れた。石川県から夫婦で来たと言う男が焦燥しきった顔で立ち止まっていた。奥さんは?と問うと、いつも私をおいてどんどんいってしまうんですよ、と言ってずっと先を登っている女性を指差した。彼女は振り向き様、早く~!と叫んだ。私はしばらくの間、この男と抜きつ抜かれつしながら登った。前方を見上げると、まだうんざりするほど階段が続いている。気が滅入ってきた。振り向けば、北アルプスの勇姿が見えた。

頂きへ・・・?

見下ろす。さっき一休みした小屋がずっと下にあった。
山頂山小屋に一泊する計画だったから、それなりの荷をザックに詰めてきたが、小屋泊まりどころか、引き返すことばかり考えるようになっていた。体力と気力の限界を感じたことと、他の理由が頭の中を駆け巡っていたからである。思い立つと、決断が早いのが私だ。

また来るからな、と赤岳にバイバイをして踵を返した。行者小屋に戻ると、相変わらずそこここのベンチは登山者で埋まっていた。次々と登山口の美濃戸から登ってきている。私はここで昼ごはんを食べた。コンビニむすびと豚生姜焼き、コーヒー。
登頂をあっさりと諦めたけれど、ここで1時間、山の懐に抱かれて至福の時を過ごした。

頂きへ・・・?

車に戻って3時間半後には静岡市の居酒屋にいた。陶芸教室の生徒さんたちとの酒席だ。山にも行きたやこっちにも行きたや。結局、山より飲んで食べてしゃべっての方を優先させた私だった。
山はまだまだあそこにあるから。

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