工房紹介

  • 「ささやき窯 楽友」
    工房を構えて早10年になろうとしています。 大井川流域の木材で建てた工房は、未だに木の香が漂っています。緑輝く芝庭を通り、緑樹の下をくぐってお入りください。母屋に設けた第1ギャラリーとログハウス2回の第2ギャラリーには私の作品を展示し、販売もしています。                                                                                               陶芸教室に通う生徒さんたちのにこやかな笑顔と、楽しげな会話があふれる陶芸工房です。                                                             「体験陶芸」「教室入会者」募集中です。どうぞお気軽にお問い合わせ下さい。    春休み・夏休みなどの長期休暇には、「子供体験陶芸教室」も開講します。

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カテゴリー「旅行・地域」の138件の記事

2017年6月19日 (月)

利尻島 島の駅にて

利尻島 島の駅にて
利尻島 島の駅にて
利尻島 島の駅にて
初日は短時間ながらサイクリング、翌早朝から利尻山登山、3日目は礼文島トレッキング、最終日にはレンタカーで利尻島内の見所に立ち寄りながら島内を一周した。ほぼ円形の島は、どこからでもきりりとした利尻山の勇姿が仰ぎ見られる。東西南北異なる場所から臨む山の姿が変容する様を見るのは楽しい。

島の西側にある沓形地区で昼食を摂った後、「島の駅」なる施設に行った。ここには乾燥海藻アートなどの作品などを展示した、土蔵を改修したギャラリーがある。美術作品もさることながら、最も私の目が引き寄せられたのは「詩」だった。北海道の生んだ現代詩の代表的な詩人、原子修氏の詩だった。島に生きる漁師の父と兄のたくましさ、それを見つめ、己も漁師になる決意を固める弟。厳しい北海で命懸けの漁をする男たちの心意気が伝わってきた。

土蔵の前には、樺太から流れ着いた木で作られたベンチがあった。この夜、テレビでは元樺太島民の樺太一時帰国のニュースが流れていた。

2017年6月18日 (日)

礼文島で

礼文島で

礼文島で

礼文島で

礼文島で

礼文島で

甲板にいる乗船客は一様に同一方向に視線を向けていた。早朝は姿を見せていた「彼ひと」は、霧のベールをまとったまま、なかなか人々の前にその麗しき容姿を現してくれない。お出まししたのは礼文島の見所を訪ね、港に向けて車を走らせている時だった。裾野に霞か雲をまとわらせた利尻富士が洋上に浮かんで見えた。何故かワクワクする瞬間である。

この島に来たら忘れてはならない食べ物がある。その代表格がバフンウニだ。狙っていた食堂に行く。満席。入り口には2時間待ちの表示。他を探す。また満席だ。理由がある。予約の団体客で占められているのだ。しばらく時間をおいてから、港に車を置き、まだ空席はできていないだろうと思いつつも、今度は徒歩で最初の店に向かった。すると、その手前に「ウニ丼」と書いたのぼり旗がひらめく小さな店があった。中を覗くとカウンター席が空いているではないか。

解禁間もないウニ漁だが、漁獲はまだ少ないとのこと。かたや需要が多い。案の定、目を向く値段だ。ムラサキウニ丼4000円、バフンウニ丼5000円。しかも飯碗程の大きさの丼なのに。私たちはしばらく思案したが、注文した。ウニが苦手な人も、ここのそれを食せば好きになる、と言われているほどのものだ。食べないわけにはいかなかった。
う~ん、いける。クリーミーな味が口内に広がった。今回の旅友、Hさんが言った。奥方には言えないよ、と。遠方への旅を許してもらったのに、こんな高価なものまで食べたなんて・・・。残してきた妻君の心中を思いやる、優しいきHさんであった。えっ、私は?もちろん、こう言う。すごいだろう、こんなにもするウニ丼食べたよ。

何年か前、映画「北のカナリアたち」のロケ地の一つだった礼文島には、ドラマの舞台となった小学校がそのまま残されている。そこで私の大好きな女優と会ってきた。彼女の肩に手を置き、写真まで撮らせてもらった。直ぐに写メールを妻に送ったが、未だに反応がない。

2017年6月16日 (金)

利尻島から

利尻島から

利尻島から

利尻島から

3度目の利尻島である。今回は登山がメインだ。
日本最北端の「日本百名山」、利尻山に登った。休憩を含め、11時間の長い歩きだった。海面から鋭角的に屹立したこの山は、利尻富士とも呼ばれている。端正さと荒々しさを併せ持つ山である。
胸突き八丁の苦しい上りの果てに、頂きに立つ。山頂は5度、あるいはマイナス0.5度と予想されていたが、山の神様は私たちを歓迎するかのような好天を用意してくれた。360度の大パノラマ。礼文島はもちろんのこと、海を隔てた向こうに稚内方面が、さらに南北に細長く横たわる島がかすかに望める。樺太か?
祠の置かれた狭い山頂では、4人の若者が料った利尻ラーメンをおいしそうに食べている。オーストラリアから来たというカップルがドローンを飛ばせている。愛媛から車の長旅をしている年配夫婦も大展望に酔っている。アメリカ人だろうか。4人の若者がやってきた。ビューテイフルを連発した。

宿に戻り、窓から見える、さっき登ったばかりの利尻島山を眺めた。格別だった。

2017年6月15日 (木)

利尻空港に降り立ちました

利尻空港に降り立ちました

利尻空港に降り立ちました

利尻空港に降り立った。静岡の自宅を出て、7時間後の午後2時に到着。タラップを降りると強い風が出迎えの手荒い挨拶。

振り向くと、幾筋かの残雪が印象的な利尻山が「ようこそ!」とばかりに両手を広げていた。

2017年5月24日 (水)

元気確認トレッキング 5

 蓼科湖は人造湖である。昭和27年に農業用ため池として、また観光の拠点として造られた。

大晦日に北八ヶ岳の山中で年越しをしようと、過去10数年間、この湖を右手に見ながら登山口まで車を走らせていたが、冬のこととて湖周辺には観光客の姿を見かけたことはなかった。私たちもここに車を停め、湖をゆっくり眺めることは一度もなかった。

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 今回初めて蓼科湖に立ち寄った。折り畳み式の自転車を車から降ろし、私たちは湖をゆっくりと回った。5月下旬ではあるが、標高の高いここには、まだ桜花が残っていた。湖面に八ヶ岳北端の蓼科山、幾度も登ったことのある北横岳が映っていた。


  畔には蓼科高原芸術の森、彫刻公園があった。無料で入れる野外美術館だ。きれいに手入れされた芝生が美しい。S字にくねって敷設された遊歩道の右に左に、さまざまな彫刻が置かれていて目を楽しませてくれる。

気に入った彫刻のいくつかをご紹介したい。

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快晴、しかも日曜日の12時前であるにもかかわらず人影は数えるほどだ。目を奪われる彫刻群、八ヶ岳や車山高原を背にしたのどかな湖、さわやかな高原の風、おいしい空気。どれも素敵なのに。


小津安二郎記念館、無芸荘の案内人の男が言っていた通りだ。

ビーナスラインが車山高原まで貫通したのはいいことなのだが、この地は単なる通過地点になってしまった。廃業を余儀なくされたホテルもある。

時代の流れ、と嘆息するしかないのか。

静岡と山梨を結ぶ念願の中部横断道が着々と工事が進んでいる。完成すれば国道52号線のくねった峠道を緊張しながら運転しなくてもよくなる。静岡に住む山梨や長野に向かう観光客にとっては時間短縮になっていいかもしれない。が、52号線沿線のガソリンスタンドや店などはどうなるのだろうか、と客の激減を心配したくもなる。





































2017年5月23日 (火)

元気確認トレッキング 4

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蓼科プール平に、日本映画の巨匠、小津安二郎監督が昭和30年頃から別荘として使っていた茅葺屋根の建物がある。元の場所から100mほど離れたそこに移築された別荘「無芸荘」は、小津安二郎記念館として公開されている。
ペンションオーナーに別れを告げ、蓼科湖に向かう途上、たまたまこの記念館を見つけた。一度は通り過ぎたものの、茅葺家屋の中で火が揺らめくのを見て、もしかしたら、とすぐに引き返した。

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 囲炉裏端で年輩の男女がおしゃべりしていた。

「おはようございます。観させてください。」と声をかけて一段と高い上り框で靴を脱いだ。薄暗い廊下の左側には土間の台所が、右側には囲炉裏の部屋とつながる、床の間の広い部屋があった。床の間脇に置かれたテレビには「東京物語」と思われるビデオが流されていた。テレビの前に座ってしばしそれを観ていると、「こちらに来ておかけなさい。」と、囲炉裏端の男が声をかけた。私たちはすぐに囲炉裏端に座った。

男は観光協会の方で、84歳。女性は男の同級生の奥さんだという。記念館が開く土日祝日に4人のメンバーが交代でここに詰めているのだと話してくれた。お客さんがまったく来そうもない時には、ごろりと横になることもある。どちらかというと年輩者が多いけれども、時に若い人が来ることもある。ある時、山に登った帰りに立ち寄ったという若い女性がいた。他のお客さんが帰ってもなかなか帰ろうとしない。彼女一人きりになると、自分は失恋してその癒しのために山に入ったのだと話し始めたという。はじめは、どこか辛い表情をした人だと見ていたのだが、やがて彼女の硬い表情が緩んできた。こんな年寄りだから彼女は見ず知らずの私につらい気持ちを打ち明けたのだろう。男は多弁雄弁で、いろいろなことを話して聞かせてくれた。

主な仕事は農業だそうだが、かつては教育長を務めたことがあり、教育に関する話も出た。戦前、そして戦争直後の教育を受けてきた男の目には、現在の親や教師のあり方に疑問あり、と映っている、そんな話もあった。

彼は、都会の子供たちを呼び寄せ、農業体験をさせているそうで、その時に子供たちから聞いた父親、教師像は一様に「やさしい」という。男は言う。それでいいのかなあ、と。


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 1時間ほどはいただろうか。その間他に訪れる人はいなかった。無芸荘の前の車山高原につながるビーナスラインにはオートバイや車がひっきりなしに走り過ぎている。私は男の話に耳を傾けながらも時々外に目を移した。するとアインシュタインのようなひげをたくわえた杖をつき歩いている老人に目が留まった。彼はゆっくりとした歩きで窓枠から消えていく。10分ほど経ったころ、また無芸荘の窓枠に姿を現した。そして茅葺家屋の前にある木造のベンチに腰を下ろした。どこか作家然とした雰囲気をもつ老人だったので、思わず私は彼に声をかけた。「書き物をしている方ですか?」

そうではなかったが、90を過ぎてはいるが、毎日ビーナスラインの坂の上り下りをして体力維持をしているのだと言った。


時間が許せばこの老人とももっとおしゃべりしたいと思った。

2017年5月22日 (月)

元気確認トレッキング 3

朝6時、高地での散歩をしてから宿に戻ると、庭に数か所置かれた野鳥寄せの餌台に3羽のウソが舞い降りてついばんでいた。餌台から1メートルほどの所に人間がいても警戒心はない。毎日こうしているのだろう。ここに来れば餌が得られる。ペンション夫妻の優しさはここにも見て取れた。

私はカメラを構えて小鳥たちのかわいらしい様を何枚も撮った。

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この皿の中にも餌のひまわりの種が入っている。小鳥の置物が本物の野鳥を招き入れようとしていた。やがて雌雄のウソが皿に飛んできた。

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     左が雄。雌と何やら語らっている。

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雌がどこかに行ってしまうと雄はヒマワリの種を食べ始めた。くちばしにはヒマワリの種が見える。

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ひとしきり餌をついばんだウソたちは近くの白樺を越えてどこかに飛び立ってしまった。

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2017年5月21日 (日)

元気確認トレッキング 2

 北八ヶ岳トレッキング後、標高1750mの高地にあるペンション、ハイランドリゾートアゲインに泊った。胃腸の不調で楽しみにしていた夕食はほとんど手を付けることができず情けない思いをしたが、目の前に茂る白樺を見、鶯などの野鳥たちのさえずりを聞き、八ヶ岳最北端の山、蓼科山を目前に見上げ、爽やかな風のそよぎを感じながらの露天風呂は極上の贅沢だった。

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前夜、早めに床に臥せたお蔭で翌朝には回復。朝食はいつものように美味しく食べることができた。

朝食時、奥さんに、「昨夜はお騒がせし申し訳ありませんでした。せっかくのお料理をほとんど食べ残してしまいましたが、奥さんの優しさと親切なお心をいただきました。ありがとうございました。」とお詫びとお礼を言った。

奥さんの丁寧な応対、笑顔、やさしい柔らかな心をほうふつとさせる表情に、初めて会った時からとても感心させられていた。夕食時、妻が少し寒そうなそぶりをしたのを目ざとく察知した奥さんは、すぐさまひざ掛けを持ってきてくれたり、私の胃に異変が起きたのを心配して、胃薬を用意してくれたりしたことに私はいたく感激していた。

このペンションは奥さんと料理を担当する旦那さん二人で営んでいる。中国出身のお二人だが、その応接ぶりは日本人以上だ。チェックアウト時、ご夫妻と少し話をする機会があった。ペンション経営をするに至った経緯、日本の山が好きでよく登っていること、庭にさりげなく置いてある球状のオブジェのこと、庭に飛来する野鳥のこと・・・。

また来たくなる素敵な宿だった。

 

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部屋の窓からは蓼科山が望めた。山頂にはかつて泊った山小屋が朝日に光っていた。

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2017年5月20日 (土)

元気確認トレッキング

元気確認トレッキング

元気確認トレッキング

元気確認トレッキング

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  蓼科高原に来ている。北八ヶ岳、標高2200mの坪庭から縞枯山の腹を巻いて麦草峠に向かった。過去13年間、年末年始の雪山トレッキングをこの場所でしてきたが、無雪期に入山したのは初めてである。所々に残雪はあるものの、登山道は木道、岩道、泥道と変化に富んでいた。雪に埋もれた登山道と違った歩き辛さがある。足元をしっかり見ながら次の一歩を出さなければならない。

熊笹、岳樺、シラビソ、青空、霞む南アルプス、中央アルプスが目と心を喜ばす。ひいやりとした風が汗ばむ額をなで行き、遠く近く聞こえ来る小鳥のさえずりが心を癒す。

約4時間の山歩きは、退院3週間後の私の体調が元に戻ったことを証明してくれた。と、喜んだのもつかの間、宿での食事が全く喉に通らない。山歩きで水分をとりすぎたせいか、胃の調子がおかしくなっていたのだ。私は、妻を一人食堂に残して部屋に駆け込んでベッドに横たわってしまった。

2017年3月 6日 (月)

自然を味わう

安倍川奥に連なる山塊のひとつ、青笹山(1550m)に登った。登山口は有東木(うとうぎ)地区だ。ここはワサビ発祥の地で、400年以上の歴史がある。伊豆もサワビ栽培が盛んだが、江戸時代に天城の見回り役だった板垣勘四郎が有東木から伝えたものだ。2017227_021




温暖な地といえども、標高が高いところでは雪が積もっている。念のため滑り止めのアイゼンを持参した。案の定、1300m付近で雪道となった。さっそくアイゼンを装着する。一緒に登った教室生のHさんにとっては初めての装着だ。ちょっと時間がかかったが、付け終ると雪の上に乗って感触を確かめた。そして満足気な表情をした。しばらく登山道左側の谷に2017227_010


足を滑らさないように気を付けながら歩く。やがて地蔵峠に飛び出た。あとはアップダウンを幾度か重ねながら稜線を行くと、深い笹の間を通った。

登るにつれ青空の面積が小さくなり、山頂に近づくころには小雪がちらつき始めた。

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山頂に置かれた温度計は2度を示していた。私たちは笹を防風壁代わりにして昼食を摂った。ここは山梨県と静岡県の県境でもある。東を望むと南部町の向こう側に富士川が見えた。そして霊峰富士、が、見えるはずだが、あいにく雲のベールの中だった。北方を望めば、晴れていれば依然として雪に覆われた南アルプスの名峰たちが顔をそろえて私たちを喜ばせただろうが・・・。

小雪舞い散る中での昼食だったが、沸かした湯でつくったカップ麺で体はホカホカだ。

わたしはHさんに言った。

「山は晴れが一番だけれど、こうして雪が降る、曇っている、そして時には強風にさらされる、雨に打たれることもある、それが自然そのものだよね。だから今日のように晴れの中をスタートし、曇りになり、山頂付近で小雪に出迎えられるのもいいよね。」

彼は、そうだそうだと頷いた。

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標高1100m付近にあったワサビ田。ビニールで覆われていた。

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下山後、地元の主婦たちが守る売店に寄った。閉店直後で、入口はカギがかかっていたが、中にいた女性がどうぞと言って中に入れてくれた。地元産のワサビで作ったワサビ漬けを買った。そしてちょっとおしゃべり。「ワサビ田の担い手は大丈夫?」そんな私の問いに、高齢化が進み、担い手不足であること、地元の小学校は児童数が10人を下回ってしまったこと、もちろんこの売店を預かる主婦たちもごらんのとおり高齢者で、これからどうしようかね、と話していたところだったのだよ、と。

















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