工房紹介

  • 「ささやき窯 楽友」
    工房を構えて10年が経ちました。 大井川流域の木材で建てた工房を訪れた方が、「木の香がするね。」と顔をほころばせて言ってくれます。緑輝く芝庭、緑樹の庭が目と心を癒します。母屋に設けた第1ギャラリーとログハウス2階の第2ギャラリーには私の作品を展示し、販売もしています。どうぞご覧ください。                                                                                               陶芸教室に通う生徒さんたちのにこやかな笑顔と、楽しげな会話があふれる陶芸工房ささやき窯。                                                              「体験陶芸」「教室入会者」募集中です。どうぞお気軽にお問い合わせ下さい。    春休み・夏休みなどの長期休暇には、「子供体験陶芸教室」も開講します。

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カテゴリー「旅行・地域」の159件の記事

2018年6月 5日 (火)

四谷の千枚田

Dscf0067「四谷の千枚田」。愛知県新城市にある。標高900メートルほどの鞍掛山中腹400メートルあたりから200メートルあたりまで、標高差で200メートルほど一帯に大小さまざまな水田が階段状に作られている。

先人は重労働に耐えながら手作業で急峻な山肌を開墾し、とうとう階段状の見事な田んぼを作り上げました・・・・

古き良き日本の原風景に出会える場所・・・

と新城市のホームページに紹介されている。

先ずは、鞍掛山上方にせり上がる棚田を見上げる。明治時代後期に大きな土石流に見舞われ、犠牲者まで出し、棚田も全壊したが、農民や近隣住民などの必死の復旧活動で、わずか5年で蘇らせたと聞く。そして保存活動に尽力する人も現れ、「鞍掛山麓千枚田保存会」を創設した。会では、耕作放棄地の解消に取り組んだり、「田植え体験」「稲刈り体験」「生き物鑑賞会」などを催し、都市と農村の交流を図っている。

棚田の風景に魅せられていると、1人の年輩の男がバイクでやってきて、案内看板下部に据えられているパンフレット入れに、新たなそれを補充しているのに気付いた。声を掛ける。やけに棚田について詳しい。保存会の会長さんだった。凛と輝く瞳は、70を超した男とは思えないほどの力強さがあった。

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30分ほどかけて棚田の遊歩道を歩き登った。

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水田を渡り上がる風がとても心地よかった。水田の脇には梅の木が植えられていて、ふくらんだ梅の実が風に吹かれ揺れていた。

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鞍掛山から流れ出る清らかな水で満たされた水田には、オタマジャクシが気持ちよさそうに泳いでいた。

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400枚ほどの水田を背に座っている媼(おうな)がいた。ポットを抱えている。農作業を終え、一休みしているのだろう。かわいらしい案山子である。

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2018年4月 8日 (日)

瀬戸内海の島めぐり 5

粟島の東端、上新田港から民宿ぎんなんへ向かうと、マン丸顔のかわいらしい人形さんたちに出くわす。漁業で使う浮き(ブイ)で作った人形だ。これらは先に登場した“えっちゃん”が作った。

猫をはじめ、女の子、さざえさん一家、花嫁花婿それをとりなす神父さんなど、実にさまざまな姿をブイで作り上げている。

名付けて「ブイブイガーデン」だ。

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どの顔を見ても笑顔だ。ひょうきんだ。愛くるしい。

えっちゃんがガーデンを案内してくれた。彼女の飾り気ないちゃめっけのある語り口、紡ぎだされる言葉にかぎりなく惹かれた。70歳を越した年齢とは思えないほどの張りのある声やポジティブな思考にも驚かされた。

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          結婚式

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     さざえさん一家

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笑顔の子供たちの背後の畑に、最近、えっちゃんがある種を蒔いた。長距離移動することで知られる美しい蝶、アサギマダラが好むフジバカマの種だ。えっちゃんは言う。長野県からはるばる飛んでくるらしいから、ここをアサギマダラの休息場所にしたいの。彼女は、島民を、島を訪れるお客さんを笑顔にさせるブイブイガーデンだけでなく、蝶をも招き入れて喜ばせようとしている。

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えっちゃんはヤギやカルガモ、犬、猫を飼っている。犬、猫はもちろんだが、ヤギも、彼女に名前を呼ばれると、寝ていた小屋から出てくる。カルガモもえっちゃんの呼び声がわかるらしく、反応するという。彼らは、心優しき人を人以上に見分ける力があるのだ。

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えっちゃんにひとしきり丹精込めたガーデンを案内してもらい、彼女の家の玄関先に戻ると、一台の軽トラがやってきた。チャボとひよこをえっちゃん夫婦に持ってきたらしい。ゲージの中にいるひよこをよく見ると、足に水かきがついているではないか。男は、これはアヒルだよと言った。親鳥らしきチャボはれっきとした鶏だ。ひよこたちの親ではない。アヒルの赤ちゃんはそんなこと一切構わずチャボにすり寄っていく。

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えっちゃんがご主人に言った。どうするの、わたしたち年金生活じゃん。

彼女は餌代の心配をしているのだが、表情は極めて明るい。アヒルの赤ちゃんの行き処に困ったのでここに持ってきたのだろう。えっちゃん夫婦ならきっと面倒を見てくれると。

彼女の人望の厚さをも垣間見たひと時だった。



2018年4月 3日 (火)

瀬戸内海の島めぐり 4

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志々島を離れ、隣の島、粟島に渡った。

民宿の女将、ユミさんが港で待っていてくれた。女将の飾らない穏やかな人柄を、道すがらのおしゃべりから感じ取る。10分ほど歩くと宿に着いた。民宿は島の西のはずれにあった。目の前に瀬戸内の海が広がっている。

「ぎんなん」と書かれた看板の裏には、「空も 海も 島も 船も 風も みんな みんな

わたしだけのもの!」とやわらかな字体で書かれている。

聞くと、お隣の主婦、“えっちゃん”が書いてくれたという。島を愛し、自然を愛し、本土と島を結ぶ生命線、船を愛する心がこういう言葉となって出たのだろう。私のものだから大切に大切にしたいのだ。私はそう解釈した。島で暮らす人の思いを知る。

ユミさんは言う。「えっちゃんは、私にとってとても大切な人。なくてはならない人。彼女がいるから民宿をやっていけるのよ。」

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部屋の窓からは瀬戸内の島々が見えた。畳に座って窓外を見ると、まるで船の中にいるようだった。Dsc_0042
浜に出てみた。潮騒の音がやさしく響いている。東に西に行き交う船を見ていると、ここは古来から海の交通の要衝の地であったこと、源平合戦の場であったことを想い起す。

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私に寄り添う孫。そこを妻がパチリ。今春小学3年になった孫は、私が大好きだ。じいじ、とは言わない。いつも「ひろくん」と愛称で呼んでくれる。妻は、私に寄り添う孫と私の後ろ姿が好きらしく、いつの間にかカメラを向けている。祖父と孫だが、幼かった頃のわが子と重ねて見ているのかもしれない。

ゆっくりと動く船。穏やかな海面。浮かぶ小島。

時はゆるやかに流れ行く。

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Dsc_0051_2私たちも海を背景に仲良く写真に収まった。
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ぎんなんは、一日一組だけ受け入れる民宿である。それだけに女将と接する機会が多い。会話も弾む。次第に近しい間柄になる。ユミさんの飾らぬ言葉と包容力たっぷりのお人柄がそうさせるのだが、あっという間に旧来の友のような気持ちにさせられるのである。

女将さん手作りの料理は美味しいと評判が高い。海を見ながらの料理だから、さらに美味しさが増す。

一品一品出される料理をゆっくりと味わった。

鯛やイカは、少し離れた隣家のえっちゃんのご主人が釣り上げてきたものが差し入れられたのだという。宿泊者が来ると聞くと、いつもそうしてくれるのだそうだ。ワカメのしゃぶしゃぶ、カサゴのから揚げ・・、次々と海の幸がテーブルに運ばれてくる。

一度にテーブルに並べると、それだけで一杯になってしまうもの。だから一品ずつコース料理のようにして出すのだとユミさんは言った。だから私たちはそれらをゆっくりと味わい尽くすことができる。料理の数だけ女将が顔を出すので、おしゃべりの回数も増えるというものだ。

旅とは、旅先の地元民と触れ合うこと、そこで生まれ育ち暮らす人たちの言葉と心に接すること、できるだけ乗り物を使わず、そこに流れそよぐ風に包まれながら歩くこと、路地裏の路傍に咲くかわいらしい花を愛でること、庭先で日向ぼっこするお年寄りとちょっとした会話をすること。私たちにとって、それが至福の旅である。

翌朝、ぎんなんと女将に別れを告げ、粟島歩きを始めた。私と妻が背負ってきた大きなバッグは、ユミさんが、私たちの行先までバイクで運んでくれるというので、彼女に預けた。

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いたるところに咲き誇る桜の下をくぐりながら、島の東に向かう。島の主幹路は山腹をくねって中心部に続いている。民宿から約4キロメートル。1時間半ほどかけてもう一つの港、粟島港に着いた。島唯一のコンビニと言われる店、竹内商店でミカンを買った。えっちゃんの手作り案内本『粟島歩き 遊遊(ゆうゆう)』に、この店のことが書かれている。

″島のコンビニ。何でもあります。ないものもあります。島の人は助かっています。おかげで季節のものが食べられます。〝

レンタサイクルがあった。店名は「レンタサイクルの大口しま子さん」

とはいっても無人である。

軒下に自転車が数台置かれていて、壁に大きな口を開けた女の子の絵が描いてある。

その子が「大口しま子」さんだ。

えっちゃんの案内本でこう紹介されている。

「私、大口しま子です。

レンタサイクルの集金係しているの。島で一番ヤングなのよ。私の口の中に500円入れて

サイクリングしてなあ。ぶいぶいがあでんは遠いでェ・・・。4キロメートル先よ。」

2人の若い女性が自転車を借りて行った。

私たちは港の突堤で昼ご飯を食べた。おむすびとさっき買ったミカン。おむすびは、ぎんなんの女将が持たせてくれた。旨い。潮風と淡い陽光を受けながら食べた。ありがとうユミさん。

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食後、私は突堤に寝転んでしばし転寝だ。目覚めると妻と孫はシャボン玉を海に向かって飛ばしていた。

2018年4月 2日 (月)

瀬戸内海の島めぐり 3

高松行きの電車に乗っている。
車内にはダークスーツに身を包んだ社会人1年生らしき若者たちが幾人もいる。初々しい。
希望と不安入り乱れたスタートの時である。

車窓外には桜花や菜の花が飛んでいた。

がんばれー、若者たち。

2018年4月 1日 (日)

瀬戸内海の島めぐり 2

志々島(香川県三豊市)に上陸。小さな小さな島である。

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路地を進む。階段が多い。住人が去り、家屋は悲しそうな表情をしていた。我が世の瞬間(とき)とばかりに、桜は美しい姿を見せている。

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港と集落が見渡せるところまで登ってきた。あまり訪ねてくる観光客はいないのだろうか。私と妻、そして今回は小学3年になる孫の3人だけの島歩きである。

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樹齢1200ほどの大樹、「楠」の大きさと生命力の強さに圧倒された。Dscf9092

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志々島山頂から。次に向かう島、粟島はあちら。

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志々島には樹齢1200年の大樹がある。

港から急坂を登り切ったところに、四方に枝を張り、新緑の艶やかな葉を繁らせたその木があった。樹高22mもある楠だ。太く長く伸びた枝の一本は、重さに耐えかねて地上すれすれまで曲がり落ちている。

樹下に佇み、叫んだ。

私は港近くの店で買ったビール缶を右手に持ちプルタブを引く。
「君の気を注いでくれたまえ!」

私はこっちの枝先、あっちの枝先にと大げさな動きでビール缶を頭上に掲げて叫んだ。

孫がケタケタと笑った。そしてもっとやってとせがむ。
妻も誘い込み、楠の前でミニ芝居をやった。

楠は成長は遅いが、やがては大樹となる。

今春小学3年になる孫にも知っておいて欲しいという思いを込めた芝居だった。

2018年3月31日 (土)

瀬戸内海の島めぐり1

「芝桜を見せてあげる。」と、84歳になるという島民が私たちを、路地から路地へとくねりながら高台に案内した。

Dscf9106Tさんの歩速は速い。妻はやっとの思いでついていった。
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眼前に鮮やかな花畑が天に向かって広がっていた。

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1人で芝桜畑を作り上げたTさん。

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香川県三豊市沖に浮かぶ小島、志々島から。

人口17人。建物は港周辺に密集しているが、そのほとんどは空家だ。崩壊寸前になっている家も目だつ。狭い路地がいりくむ。車が走る道はない。

ちょうど桜花咲き誇る頃。花を愛でながら島内散策を楽しんだ。桜に誘われて寺の境内に立ち寄った。本堂は荒れ果ててはいるが、墓石周りは人の手がはいっている。住職がいなくなっても墓石は島民が守っているのだろう。

境内から出ると、杖を頼りに坂道を登ってくる老婆がいた。声をかけた。桜があんまり綺麗なので見に来たのだと言う。しばらく立ち話をしていたが、急に芝桜もきれいだから見せてあげるよ、と彼女は桜を見に来たことを忘れたかのように私達を引き連れ、島民しか分からない路地をぬいながら、小高い、見晴らしのきく所に案内した。とても84才とは思えない足腰の強さだ。

彼女は独り暮らし。数年前からこの丘に芝桜をコツコツと植えてきた。赤、白、紫。丘を埋め尽くす芝桜が私達の目を奪う。
「うわ~、素晴らしい!」
思わず声をあげた。

芝桜咲き誇る先には藤棚やテーブルなどが作られている。息子さんが休みの度に来て作ってくれたそうだ。

足腰の強さの訳が分かった。他人に見せたいと思えるほど見事な花畑にするまで、毎日のように坂道を登り下りしてきた。ほぼ完成した今も、毎朝手入れするためにここまで来るのだと言った。

「一番好きな所さ。ここに座り、花を眺め、島や海を見渡すのさ。」」

″天空の花畑″

息子さんが据えた看板を見て、まさにその通り、と思った。

眼下に、瀬戸内の穏やかな海と島々が見渡せた。

「明日、息子が来てくれるんだよ。」
彼女は嬉しそうに言った。

港近くにある、島唯一の店、といっても島民の食料品などを売る店(かつてはあったが、閉店してしまった)ではなく、喫茶店゛くすくす ゛にたち戻り、次なる島に行く船が入るまでひと休みした。店のご夫婦は、TV番組、「人生の楽園」で取り上げられた方で、志々島に移り住み、島の活性化に力を注いでいる方だ。

奥さんに芝桜のことを話すと、「芝桜を育てている方は、島育ちの中で一番の若手。ほら、あそこに座っているおばあさんは、最高齢の90才です。」

店には年輩の男、船で物資を運んできた若い男もくつろいでいる。

「くすくすのご夫婦は、ほんとにいい方。いつも助けられているんだよ。」
船中で知り合った老婆がそう話していた。

ここは島民のオアシスなのだ。

2018年1月14日 (日)

出逢い 9(最終回)

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石垣島、名蔵湾の入日(フサキビーチにて)20171226_024


過去の旅を思い起こす。

幾多の景勝地はさることながら、多くの人との出会いは思い出深い。殊更、 京都円山公園にある小さな宿で知り合ったSさん、八重山諸島の一つ、波照間島の民宿で、手作りの古びたテーブルを囲み夕食を食べ合った若者カップル、北海道一周車旅の途上、宗谷岬で声をかけた日本一周自転車旅をしていた若者二人、八ヶ岳赤岳で出会ったご家族などは、 その後の交流につながった。Sさんはじめ全員が私の家に泊まり掛けで来てくれたり、こちらから先方にお邪魔することもあった。年賀状のやり取りを続けている方もいる。
双方無理のない緩やかな繋がりを保っている。

旅の途上、偶然出会った方達とのこうした繋がりは、旅の思い出をより良きものにしてくれるだけでなく、人生に彩を添えてくれる。 今回の八重山諸島の旅でもそういう方と出会った。

小浜島2日目、自転車で島めぐりをしていて出会った女性だ。小浜島最高峰(と言っても標高100mにも満たない山)の大岳(うふだけ)からの眺望を楽しみ、階段下に置いた自転車に戻った時、妻がその女性に声をかけ、少し会話を交わしたのが最初だった。私達は、地元民に教えてもらっだアナ場゙だという海岸に向かった。あと少しで目的の地に 、という所で、ペダルをこぐあの女性に遭遇。彼女は小浜島の集落に行きたかったのだけれど・・・、と言った。絵地図を見ると、全く反対方向に彼女は走ってきたようだ。「私、方向音痴だから・・・。」 それがきっかけでその女性と共に島内自転車巡りとなった。幾つかの見所を見てから集落に入り、NHK朝ドラ「ちゅらさん」の舞台「こはくら荘」の外観を見たりしながら集落内を散策。ひそやかな、でも落ち着いた雰囲気の食堂や喫茶店にも立ち寄った。 夜は宿泊先から出て、小浜島外れの居酒屋で酒を交わしながら談笑。こうして終日行動を共にすると、双方に親近感が醸成される。女性は私達の子供位の齢だから、より親しみが沸くし、可愛く思える。彼女もまた私達に親しみを感じたようだった。 実を言うと私はこの女性を覚えていた。初日、中部国際空港で石垣島行の搭乗口で彼女を見かけていたのだ。身に付けている淡い黄色の服が印象的だった。最近、パステル調の黄釉薬の調合実験をしていて、その服の色調が私の目指しているものだったからだ。ああ、こんな色を出したいなあ、とその時思った。

その後2日間は別行動だったが、黒島巡りをして石垣空港に一足先に戻った女性は、私達がなかなか戻らないのを心配して待っていてくれた。 三重県でスクールカウンセラーをしているという彼女は、活動的で行動力たくましい、かつ知的な女性だった。 春になったら私達の家に迎えることを約して中部国際空港で別れた。その後、妻と女性との間ではSNSでのやり取りをしている。

2018年1月 3日 (水)

島の手仕事職人に会う 8

年を越したが、八重山諸島巡りのことを今少し書いておきたい。

最終日の石垣島では、地元で手仕事を生業にしている方たちを訪ねる予定を立てた。

旅行前、石垣島観光交流協会にお願いして送っていただいた種々のパンフレットの中に、石垣市商工振興課が発行した『自然の先にある 島の手仕事』なる冊子があった。島産の材を使って家具などを作る木工職人、苧麻(ちょま)の繊維で機織りする機織職人、石垣島などで創作している陶芸家などが紹介されている。その中から3人にお会いしたいと思った。
20171226_113 台地にしっかりと根を張り巡らしているガジュマルの木(石垣島白保にて)


最初に向かったのは、「やちむん館・工房紗夢紗羅」の池原美智子さんの工房である。池原さんは石垣空港近くの白保集落の一角でアダン葉草履や円座、枕、ゴザなど生活必需品を手作りしている方だ。アポイントなしの訪問だからお会いできるかどうか。はたして工房へといざなう車一台がやっと通れる狭い無舗装道の角に、「休み」の手書き看板が・・・。無理もない、この日は12月28日だから。

それでも、と、車を忍び込ませた。くねった道の奥に工房が見えた。それは、うっそうとした、でも手入れが行きとどいた緑樹に覆われるようにして建っている。それらの木々は、アダンや月桃(げっとう)のようだった。この材を使って池原さんは様々な民具を作っているのだと冊子で紹介されている。左手には大きなガジュマルの木が、まるて守護神のようにデンと構えていた。冊子によれば、作品群はこの敷地内で育つアダンや月桃(げっとう)を使い、いちから創り出されるのだという。

工房玄関で声を張り上げたが、中からは応答がなかった。残念、お会いしたかったのに。

あきらめて次へと向かった。石垣島を斜めに横断し、一気に川平湾まで車を走らせた。そこは景勝地だけに多くの観光客がいた。しばらく海辺を歩き、高台からグリーンやブルーに輝く美しい海を眺めた後、「南島焼」の作家、奈美ロリマーさんの工房に足を運んだ。海岸沿いの幹線道路から枝道に入り、緩やかな坂を行くと、南島焼の看板に出くわす。そこからは車一台がやっと通れるくらいの山道だった。こんな所に、と訝しさを感じながらゆっくりと車を進めていくと、竹箒を動かしているご婦人がいた。こんにちは、と声をかけると、この奥でお待ちです、と言う。先ほど電話で応対してくれたご婦人だった。更に奥に行くと、前方に初老のご婦人が笑顔でこちらを見ているのに気付いた。連絡を入れておいたので、私たちを待っていてくれたのだ。

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仲良く並ぶトックリヤシの向こうに入ったところに南島焼の工房があった。

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奈美さんは、沖縄の焼き物に魅せられたニュージーランド人の夫君とこの地に渡り来て、望みの土と出会い、家を建てるにふさわしい場所を見つけて移り住んだ。自宅建設は夫婦でやり遂げた。木製の廃棄電柱を利用して造ったそうだ。地元民の助力もあった。家壁を土と藁を混ぜて作る時難儀していたら、地元民が水牛でやってくれたのよ、とその時のことを嬉しそうな表情で話してくれた。以来30年間、石垣島の土を使って作陶を続けてきた。当初は幾何学模様のモチーフを描いていたが、豊かな島にいることに感謝して、島にあるものを描き始めた。花、動物、魚・・・。 奈美さん手作りのマンゴージュースを頂きながら、彼女の作品を手にとって愛でた。お皿にはタコや魚が色とりどりに描かれている。厚手の皿は日常頻繁に使っても簡単には壊れそうもないほど頑丈そうだ。 彼女は、器は飾りではなく使ってこそだと思う、と言う。 手作りの木製テラスでお話を伺っていると、鶯がやってきた。黒い蝶々もヒラヒラと舞っている。清流の音も聞こえてくる。家の脇に流れる小さな沢の水が一家の命を支えている。 自然と共に生き、モノ作りを続ける彼女の表情は穏やかで美しく輝いていた。 もうお一人お会いしたい方がいたが、空港に向かう時間となってしまった。石垣島で生まれ育ち、半農半陶の暮らしをしている陶芸家、宮良断さんである。お会いできなかった方達を訪ねるために、また石垣島に行こうと思う。

2017年12月31日 (日)

なんくるないさーのココロ 7

20171226_023 石垣島 フサキビーチから。名蔵湾に沈む夕日。
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そこここで見られるトックリヤシとささやき窯唯一の専属モデル



離島故なのか、はたまた沖縄だからなのかはわからない。本土ではこういうわけにはいかない。

西表島でレンタカーを借りたのだが、借りる時、返却する時の手続きが極めておおざっぱというか、簡単なのだ。免許証を提示し書類に氏名や住所などを書くのは本土と変わりないが、貸し出す車両のボディーに既存傷はないかなど、店員と一緒に点検することをしないばかりか、「返却時、へこみ等の目立った破損がなければ少しばかりの傷がついていていてもオーケーです。」と彼は言ってキーを手渡してくれたのだ。もちろん返却時の点検は一切無しである。

小浜島で電動アシスト付自転車を借りた際には、「カギはつけっぱなしでいいからね。」「えっ!大丈夫ですか?」「へたにカギをはずすとなくしたりするからさー。」

へぇ~、そうなのか。自転車盗がよくある本土に住む私にとっては驚きだった。同時に、このおおらかさに心が和んだ。

沖縄には「なんくるないさー」なる言葉がある。

テキトーでいいさ、なんとかなるさ、と言った意味合いに受け取られている。

この地では「少しぐらい傷があったって問題ないよ、なんとかなるさ、テキトーにしておこう。」といった県民気質が上記のような対応になったのだろうか。


小浜島や西表島で「命どぅ宝」という言葉を見かけた。これも沖縄のソールワードだ。「ぬちどぅたから」と沖縄では発音するらしい。

これはあの悲惨な戦争、沖縄では「沖縄戦」というが、戦後どこからともなく沖縄全土にスローガンのように広がった言葉だそうだ。戦争で命も建物もほとんどのものが失われたけれど、命さえあればそれでいいんだよ。命こそ宝だからね。

「なんくるないさー」とは、どん底から立ち上がるための力強い言葉だったのだ。

してみると、「少しばかりの傷はなんくるないさー」とばかりに応対したレンタカー会社の店員のココロは、「大きな事故もなく無事に戻ってきてくれればそれだけでいいんですよ。少しくらいの傷がついていても。ご無事で何よりでした。」だったのだな、と思うのだ。

2017年12月30日 (土)

ゆっくり ゆっくり 6

(石垣島白保にあったガジュマル)

島のおじいが運転するケットラ(軽トラック)が走ってきたら、手を挙げてごらん。停まってくれるかもしれない。乗っけて、って頼むと、乗せてくれるよ。そうしたら、おじいは時速15キロでゆっくりゆっくりと島を案内してくれるはず。


小浜島のリゾートホテル「はいむるぶし」で長年ロビーコンサートをしているシンガーソングライター つちだきくおさんが 、弾き語りの合間にそう語っていた。


小浜島には信号機は一つもない。島民の足はもっぱら車だが、なんせ周囲16キロの小さな島だから、自転車の速さほどで走ってもすぐに目的地まで着く。速い走りは不要なのだ。

とはいえ、島民らしき人が運転する車はほとんど見かけない。小浜島2日目に電動アシスト付き自転車で島内巡りをしていて気付いたことだ。


石垣島をレンタカーで空港に向かって走っているときのこと。一台のケットラが前を行く。もちろん40キロ、ではない。30
キロの速度である。追い越し禁止ゾーンが続いているからなかなか追い越せない。帰りの飛行機の時間が迫っているというのに。

どの道路も40キロ制限 なのだから、ケットラの運転手に文句は言えない。

日頃の自分の走りを振り返る。
40キロ制限の道は50キロ出しても取り締まりの対象にはならないだろうと思う自分。40キロなんて遅すぎる、と感じる私。
改めて昔あった交通標語を思い出し噛み締めた。


狭い日本
そんなに急いで
どこへ行く

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