
小夜の中山峠にある史跡、久遠寺の山門を出る。直ぐ右手に茶屋がある。子育て飴などを売っている茶店、扇屋だ。店は閉じていた。230年ほど前、天明6年に尾張藩主 高力種信(こうりきたねのぶ)が描いた東海道の風物、『東海道便覧図略』の一枚に寺や飴屋などが描かれているというから、建物自体は建て替えられたのだろうけれど、往時がしのばれる建物である。

もう少し早く来ていれば茶店に寄り、茶をいただき、ついでにビールを買って見晴らしのきく場所でグイとやりたかったのだが・・・。
茶店の前には西行法師の歌碑が建つ。
東の方に知人を訪ねって行ったときのことを思い起こし、あの小夜の中山を越えたの
もずいぶん昔の事だったなあと懐かしんだという意味の刻
文を読みながら、私は、西行や芭蕉、幾多の大名や庶民が峠越えをして西に東にと長く大変な旅をしていたころの旅姿を目の前に想い描いていた。
西行法師歌碑にはこんな句も刻まれている。
年たけて また越ゆべしと おもひきや いのちなりけり さやの中山
小夜の中山峠は、箱根峠、鈴鹿峠とならぶ東海道の三大難所の一つと言われていた。
昔の旅人にとって、遠くに旅立つことは命懸けだった。ましてや年老いて難所を通り越すのは容易でなかったに違いない。
小夜中の公園は私以外誰もいない。陽は既に山の端すれすれに傾いていた。

公園の小高くなった場所にも石碑がある。そこにも西行法師の句が刻まれている。
風になびく 富士の煙の空に消えて ゆくへも知らぬ わが思ひかな

平安末期の歌人西行は、空に消えゆく富士山の噴煙を眺めるにつけ、自身の思いもあのように消えゆきて行方知らずになってしまうのかと嘆いていたのだろうか。妻子を捨て旅だった西行の思いとは・・・。西行について多くのことを知らない私だが、平安時代を生きた人の思いも現代人のそれも変わりないことだけは知ることが出来る。

碑の前にある石のベンチに腰を下ろし、富士山がある方向を見やった。この日は中国から飛んできた黄砂に阻まれてか、その雄姿は見えなかった。

西行歌碑の左側面には、やはり平安の歌人、橘為仲(たちばなためなか)の歌が刻まれている。
旅寝する さよの中山 さよ中に 鹿ぞ鳴くなる 妻や恋しき
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